古来信貴山境内にあつて朝護孫子寺の鎮守であり、朝護孫子寺の本堂石段下の水屋と霊宝殿の間にある経藏の地が、この神社の旧社地であるとされる。神仏分離により境内から惣門の外に遷された。 山門の前の道沿いにあり。小祠。鳥居や玉垣の大きさに比べて本殿の小さいこと。 伴信友は井上山は信貴山であるとの説を示して「井上から猪上」の名があるとしている。朝護孫子寺の旧社地が水屋の辺りであることとも考ると一考に値する。 旧社地から神体山である雄岳山頂の水神を拝んだ神社でなかったかとの説もある。 |
猪上神社 信貴山朝護孫子寺の仁王門をくぐって100mほど進むと右手に鳥居があり、猪神社の境内がある。 延喜式にも記載のある古社で本来は朝護孫子寺本堂の左横に上鎮座していたが、明治初期に神仏分離で惣門の外側、ケンガイ山へ移されその後現在地に再度移された。祭神は天足彦命・ 国押人命で、一般には信貴山猪上大明神と呼ばれ信者の多い神社であった。 由緒は伝わっていないが、旧社地の立地から霊峰信貴山を拝んだ「オガミ神社」が、後に呼び方が変わって猪上神社となったと考えられている。 平群町観光HP |
猪上神社 信貴山寺山門脇参道のすぐ右側に鎮座する小祠で、式内社に当てられている。信貴山寺の鎮守として、天足彦命と国押人命を祀る。明治の神仏分離の際まで、朝護孫子境内の現本堂石段下にある水屋と霊宝殿の間にある経蔵の地にあったが、明治三年一日惣門外字ケンガイ山へ遷座、その後さらに現在地に遷ったという。弘安二年(1279)の「阿娑縛抄諸寺略記」に、延喜年間(901-923)信貴山中興の命蓮が堂舎増築を祈願した時、霊猪出現一夜のうちに竣工したのでこの霊猪を祀ったとあり、承平7年(937)の「信貴山資材宝物帳」には、鎮守山王の威光によって諸神を勧請したといっている。 猪上については諸説あり、『姓氏録』に「猪甘部首祖天足彦、国押人命之後也」とあり、「東大寺雑集録」にでる信貴山旧記に「鎮守猪上大明神ノ事」とあり、『大和志料』に猪上は井上の借字で内科といっている。また吉野郡竜門山口の意賀美神社は、山頂の水神に雨を祈ったオガミ神社と呼んだ例から、当社も旧社地から神体山である雄岳山頂の水神を拝んだ神社でなかったかとの説もある。 奈良県史 |
猪上神社 猪上は為加牟と訓べし○祭神猪甘首祖歟○信貴山に在す、(大和名所図会)○姓氏録、(未定雑姓和泉国)猪甘部首、天足彦國押人命之後也、 社頭掲示板 |