久度神社
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   【延喜式神名帳】久度神社 大和国 平群郡鎮座

   【現社名】久度神社
   【住所】奈良県北葛城郡王寺町久度4-9-9
       北緯34度35分57秒,東経135度41分52秒
   【祭神】品陀和気命 (配祀)天児屋命 底筒男命 久度神
       平安遷都後、平野神社鎮座に当り、久度神を京へ奉遷した後は、本来の祭神久度神は失われていたようである
   【例祭】例祭 10月26日近い日曜日
   【社格】旧村社
   【由緒】延暦2年(783)12月丁巳從五位下『從五位下』
       承和3年(836)11月從五位上
       承和15年(848)7月正五位下
       仁壽元年(851)10月從四位下
       貞観元年(859)正月從四位上
       貞観5年(863)5月「平野從三位久度神並加正三位」
        (上記までは山城の平野神社に関する久度神)
       元慶8年(884)9月戊寅久度神並従五位上
       明治6年(1873)村社に列した

   【関係氏族】久努、久奴氏
   【鎮座地】ほぼ当初鎮座の地

   【祭祀対象】物部氏族の久努、久奴氏の祖神
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造銅板葺四間社
       向つて右(東)より、春日神、久度神、八幡神、住吉神の順に配祀
       拝殿・参集所・神饌所・手水舎・社務所・斎館

   【境内社】

神社のすぐ北西側を大和川が流れており、南側に離れて葛下川が流れている。古来、これらの川の流れは変わっていたようで、 神社の鎮座地も広瀬郡、葛下郡、平群郡と変わっているが、神社が遷座した訳ではない。
山城国葛野郡の平野神社の旧社とされる、平野祭神四社と称している内、久度神の原社が当社であろうとされる。
久度神は物部氏族の久努、久奴氏の祖神ではあるまいかと云われている。内膳司に遷祀せられてあった平野の久度神は明らかに竈神、正確にいえば釜神であった。
明治初年には、品陀和気命を主祭神として、左右に境内社の如く、天児屋根命(春日)、底筒男命(住吉)を祀つていた。
平安遷都後、平野神社鎮座に当り、久度神を京へ奉遷した後は、現在の祭神の久度神は失われていたようで、昭和43年平野神社より、久度神の御神霊を迎え、現在、四神をまつる。



由緒

久度神社は昔よりその名京畿地方に隠れもなき古社でありまして、その創祀の年代は古く奈良朝以前にかかり、歴代皇室の崇敬篤く、殊に第50代桓武天皇の延暦2年には特に官社に列せられ、従五位下という神位を賜りましたことが、続日本紀に記戴されその後毎年朝廷より幣帛をささげられ延暦13年都を奈良から京都に遷され久度の神を始めその他平素から信仰の篤かった二、三の神神を皇居の近くに遷されて新たに平野神社を建てられました。これ実に今から約1180年の昔であります。これが京都の元官幣大社平野神社であり、その第二座の祭神が久度の神で出あります。平野神社は京都守護の神として、ますます皇室の御尊崇をあつめられ久度の神の神位も次第に高められて、白河天皇の永保元年には正一位に進められた。
 中世以降京都に遷られた久度の神は皇居に近く、ますます字上下の尊信を得て栄えましたが、一方、大和に残存の当久度神社は、何分京都より離れた地のため朝廷直接の御崇敬は漸く遠ざかりましたが、なお厳然と名高い古社として民間遠近の尊信は絶えませんでした。平安朝の初めに日本国中の神社を調査された延喜式神名帳の中にもその名が記されています。  その後約一千年の間、時により多少の変遷興廃はありましたが、昭和17年橿原神宮の古殿をもつて拝殿・瑞垣・斎館・中門等の造営により面目を一新し、昭和43年4月10日には京都平野神社からはるばる久度の神を迎え、基のみ座である久度神社の本殿にお祀りする。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



久度神社

御祭神 久度大神 かまどの神・火の元の神
八幡大神 寿命、幸運の神
住吉大神 水運交通の神
春日大神 子孫繁栄の神
御由緒
久度神社は延喜式内の古社で、その創始の年代は古く、奈良町以前のものであり、第50代桓武天皇の延暦2年には特に官社に列せられ、従五位下という神位を賜ったことが続日本紀に載っています。その後毎年朝廷から幣帛を捧げられ、官祭に預かっていましたが、延暦13年の平安遷都に際し、久度の神をはじめ平素から信仰のあつかった二・三の神々を皇居の近くに移されて、新しく建てられたのが、京都の平野神社であり、その第二座が久度の神であります。
その後約1200年の間、当久度神社は八幡大神等をお祀りし、氏神として時により多少の興廃はありましたが昭和17年梶原神宮の古殿をもらって拝殿・瑞垣・中門等の造営によって面目を一新し、また昭和43年4月10日には平野神社からはるばる久度の神をお迎えし、44年4月10日本殿造営完工によって基の神御座である久度の社にお祀りできましたことはこの古い由緒とともに郷土の誇りであります。
昭和48年10月吉祥月日

社頭掲示板



久度神社

当社は続日本後紀に延暦2年(西暦783年〉官社に列せられたとあり、延喜式神名帳(西暦927年)にも載っている古い社です
また延暦13年(西暦794年〉平安遷都に際し創建された京都市北区の平野神社第二座に当社から遷されて久度神が祀られています
久度神の「久度」は「窖」の意味で御厨神の総称であり「竈(かまど)神」〈伴信友説〉といわれています。久度神社には現在久度神のほか八幡(寿命・幸福の神)住吉水運・交通の神)、春日く子孫繁栄の神の神をおまつりしています。


社頭掲示板



久度神社

大和川南岸に鎮座。品陀和気命・天児屋根命・底筒男命・久度神を祀る。旧村社。久度神は昭和43年(1968)の改築に際し現京都市北区の平野神社より勧請。「延喜式」神名帳平群郡の「久度神社」を、「大和志」は「在王寺久度邑式載平群郡』として葛下郡の当社に比定。式内久度神社は延暦2年(783)12月15日、従五位下に叙せられ官社となったが(続日本紀)、以後記録にみえない。久度神は平野神社の祭神にみえ、平安遷都の際、当社から平野社に移したとされ、「延喜式」の平野祭祝詞・久度古関祝詞は酷似している。絹本彩色の春日曼荼羅一福を蔵し、収納箱に「春日講本尊箱 和州廣瀬郡久度郷堀内 文明8稔(丙申)8月日 講衆」の墨書がある。また拝殿前に「奉施入 大和□□(以下不明)厂广元季12月日」という暦応元年(1338)の磨滅した石灯籠が残る。

寺院神社大辞典



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