伊弉諾神社
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   【延喜式神名帳】伊射奈岐神社(大 月次 新嘗) 大和国 添下郡鎮座
   【延喜式神名帳】登弥神社 大和国 添下郡鎮座

   【現社名】伊弉諾神社
   【住所】奈良県生駒市上町4447
       北緯34度43分6秒,東経135度43分40秒
   【祭神】伊弉諾尊 (配祀)素戔嗚尊 大己貴尊
   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観元年(859)正月27日には神階を従五位下から從五位上 『三代実録』
       文明6年(1474)火災
       寛文6年(1666)長弓寺の「側に鎮守八王子社あり」『和州寺社記』

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初より長弓寺の鎮守としてあった

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王社」と称す
   【参考HP】 長弓寺薬師院
   【社殿】本殿
       拝殿・舞台・社務所・座小屋・地車庫

   【境内社】熊野神社・素盞鳴神社(相殿)と嚴嶋神社

長弓寺(長久寺)の鎮守社で、境内の本堂の上り口の右側にある、江戸期は牛頭天王社と称した。長弓寺では、古く、神仏合体の法会が多く行なはれており、牛頭天王社の神職は、寺僧の中の第一臈の人がこれを継承していた。
天平18年(746年)の長弓寺創建にあたり、鎮守として牛頭天王を祀る。


御由緒

当社は聖武天皇勅願による長弓寺の守護神として建立せられ牛頭天王の宮と称せられたが神仏分離の明治新政にあたり現在の社名に変更がありました。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




伊弉諾神社

当式内大社について『大和志』は上村に在りまた天王と称すとある。富雄川に沿った今の県道枚方大和郡山線より奥の山懐に抱かれた閑寂な地に鎮座する。長弓寺の鎮守社で、本堂上り口の右側の牛頭天王社がそれである。
長弓寺は、聖武天皇の勅願で行基の開いた寺と伝え、寺蔵の『長弓寺縁起』によると、天平18年(746)同寺建立に当たって牛頭天王社・八王子(若宮)社を祀って鎮守としたとある。『大乗院寺社雑事記』の文明6年(1474)6月2日の条に「自秋篠寄和田方鳥見庄焼掃之 地下薬師堂以下焼失了、宮同炎上了」とあるが、宮とは当社をさすのではないか。『延喜式』神名帳登載の式内大社にあてられ、すでに『三代実録』貞観元年(859)正月に従五位上に神階を昇叙されている。『大和志』以後当社を式内大社にある説が踏襲されているが、渡会延経の『神名帳考証』は神名帳登載の式内社は所在不明としている。当社を式内登弥神社にあてる説もある。例祭は10月13日。
境内社は厳島神社(市杵島姫命)・素戔嗚神社(素戔嗚命)・熊野神社(熊野大神)である。

奈良県史



伊射奈岐神社 大月次新嘗

伊射奈岐は假字也○祭神明か也〇上村に在す、今天王と称す、(大和志)
類社
伊勢国度曾郡伊佐奈伎宮の下見合すべし
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下伊射奈岐神從五位上、

神社覈録



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