近世までは天満天神を祀り、八條天神社、あるいは一夜松天神と称した。社名の「菅田」は地名によつたもので、このあたりは菅の生えやすいところであつたらしい。全国鍛冶の総社といわれ、菅田比売神社と対の神社と推定される。古くは現地の南0.3Km、近鉄線と佐保川と交差するあたりにあり、大永3年(1523)現地へ遷と伝う。佐保川以東・近鉄線の南北に広がる田畑の中にそれらしい塚は見当たらず既に消滅している可能性が強い。 平地。こんもりした叢林有り。 |
由緒 昔、美しい女神が天理市二階堂の「菅田池」から現れ、大和郡山市八条町の神楽田の所でしばらく休んでから、そこから西の方へ行って鎮座しました。するとそこが一夜にして鬱蒼(うっそう)とした松林になったので、誰云うとなく、その土地を「一夜松」と呼び、今「一夜松天神」「八条天神社」とも呼ばれる現在の「菅田神社」が鎮座する 社頭掲示板 |
菅田神社 菅田は前に同じ○祭神菅田首祖歟○八條村に在す、今平群郡に属す、(大和志)○姓氏録、(山城国神別)菅田首、天久斯麻比土都命之後也、 神社覈録 |
郷社 菅田神社 祭神 菅田比古命 本社創立の年代詳かならす、然ども延喜式内の古社にして、祭神菅田比古命は菅田首天久斯麻比都命の後裔なり(延喜式姓氏録)菅田長安寺二村の氏神として往古より之を祭祀す(大和志)明治に至り郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿、及土蔵等の建物あり、境内2416坪(官有地第一種)にして、菅田村の南八條村にあり、佐保川其西方を流れ、菅田池畔にのぞむ、堀河百首に「をとめ子がすがたの池のはちす葉は心よげにも花さきにけり」と、以て景勝の地たるを知るべし。 明治神社誌料 |