菅田比売神社
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   【延喜式神名帳】菅田比売神社二座 鍬靫 大和国 添下郡鎮座

   【現社名】菅田比売神社
   【住所】奈良県大和郡山市筒井町1440
       北緯34度37分17秒,東経135度47分1秒
   【祭神】伊豆能売神
       菅忍比神(道中貴) 『神社帳考證』
       菅田比売神を主として比古神を合せ祭れる『特選神名牒』
       明治12年調の神社明細帳には「祭神伊豆能売神」
       天鈿女命『大和郡山市HP』
       菅田首の祖神天乃目一命の比売神を主として、二座を祭れるならむ『神祇志料』

       「伊豆能売神」は社名にある「菅田比売」を指すと云われている。
       八条町の菅田神社と対となる神社だとすれば、菅田神社が菅田首の祖神・天乃目一神(=菅田比古神)を祀ることから
       当社はその妃神である菅田比売神を主神とし、菅田比古神を祀るとみられる。

   【例祭】10月12日
   【社格】旧村社
   【由緒】天正8年(1580)戦国時代の兵戦にて焼失

   【関係氏族】菅田首
   【鎮座地】往時は、現在の筒井小学校東側、大字篠田北篠田にあり篠田社(信田宮)と称していた
        現在の鎮座地は、もともと八幡神社のあつたところ
        江戸時代末期ごろに移転、合祀された

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「篠田社(信田宮)」と称す
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所

   【境内社】境内社五殿

住宅地の中の小社。当社の前身は、古く筒井と丹後庄との間にあつて、篠田社(信田宮)と称していた。現在の鎮座地は、もともと八幡神社のあつたところで、往古の社地からは、江戸時代末期ごろに移転、合祀された。またこの地は筒井城の跡である。 菅田比売神社を中心に、筒井町集落を含んだ範囲が城址と推定されている。
大和郡山市八条町にある菅田神社(当社の南約2km)と対となる社。



参拝のしおり

当社は奈良県大和郡山市1440番地に鎮座しており伊豆能賣神をお祀りしている。創立年代不詳、式内社、村国墓、贈正一位、安倍命婦、大和志、菅田比賣神二座、須加多、祭日には、鍬やスキをまつり献納したとある。明治7年「郷村社取調帳」に鎮座、筒井村、式内村社、菅田比賣神社、祭神、伊豆能賣神 勧進年月不祥、社殿建坪 間口四尺五寸、奥行五尺五寸 拝殿 無御座候 社地総坪120坪、氏子数167戸、由緒不詳

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




菅田比売神社

歴史
往事は、現在の筒井小学校東側、大字篠田北篠田にあり、信田宮と称した。
伊豆能売神は、天照大神(伊勢神宮)のお姉様で、穢身・穢家の災難を清浄し給ふ神様として、筒井村を中心に57カ村の敬神として祭られていたが、紀元2240年(西暦1580、戦国末期)、正親町天皇の御代、天正8年(1580)戦国時代の兵戦にて焼失、後に水害等にあっており、字北垣内・八幡神社に合併せられ、大正元年、県社寺課より筒井村の敬神として尊ばれ、現在に至る
由緒
古事記『伊邪那岐命の禊祓』の段に、黄泉国に行かれた伊邪那美命を慕い、伊邪那岐命は現身のままで黄泉国に尋ねていかれ、『愛しき我が命、吾何時と作れる国未だ終えず故還り給え』と告げられた。伊邪那美命は『黄泉の許しを得んと思いし故、暫し吾を見給うな』と殿内に入られた。暫し待ちに待ったが、余り久しくなったので、伊邪那岐命は待ちかねて我が櫛を取って自ら火をつけて這い入ったところが、女神の身は見るに堪えざる有り様であったから、大いに恐れて逃げ帰ろうとした時、伊邪那美命は我に辱を与えた事を非常に怒られ、黄泉国の黄泉醜女及び1500の黄泉軍を遣わして、伊邪那岐命を追わせた。伊邪那岐命は一所懸命に逃げ給い、黄泉国の比良坂まで来て、中間に大きな石を置いてその道を塞ぎ、不浄の国に至って身体が汚れていたので禊ぎをして浄めようと思召し、筑紫の日向橘小門の阿波岐原に至り、ここの上つ瀬速し、下つ瀬は弱しとして、中つ瀬に下りて禊をせられた。この禊の給うときに成り坐る神の名は八十禍津日神、次に大禍日神で、この二神はその禊ぎ繁国に到りました時の汚垢に因りて成りませる神なり。次に更に禊ぎをされ、その禍を直さむと為て成りませる神の名は、神直毘神、次に大直毘神、次に伊豆能賣神で、この三柱の神は皆、命の穢れたものをすっかりお取りになった時に誕生された神故に、神の体は東の山からでる日輪の如く四方を明るく照らしたという。次に水底に禊ぎ給う時に成りませる神の名は、底津綿津見神、次に底簡之男命。水の中に禊ぎ給う時に成りませる神の名は、中津綿津見神、次に中簡之男命。水の上に禊ぎ給う時に成りませる神の名は、上津綿津見神、次に上簡之男命、とある。
『禍』は『曲』につながり、『直』はまさに、『禍・曲』を『直す』神です。伊豆能賣神も『直』の神様であり、神名の『いず』は『厳』で斎清める神様です。

由緒書




菅田比売神社

近鉄橿原線筒井駅の東北約300m、筒井集落東部に鎮座する旧村社。『大和志』添下郡「神廟」に「菅田比売神社二座建靭 在筒井村 今称信田宮」とあって『延喜式』神名帳登載の社としている。
祭神については社伝では伊豆能売神で他の一座は不詳といっている。明治24年の『神社明細帳』は伊豆能売神と届け出ている。現在の社地は筒井城跡であるが、もとは丹後庄町との境界にあったと伝え、『大和志』に信田宮と称したという篠田・北篠田の地名が旧社地付近に残っている。
社前の石灯籠に「寛文10年(1670)」「八幡宮」の刻銘がある。例祭は10月13日。因みに同市内八条町にあり式内社にあてられている菅田神社は、当社と対をなす社と推定され、「姓氏録」の菅田首関連の祖神とみられるのでないか。

奈良県史



菅田此売神社二座 鍬靫

菅田は須賀太と訓べし、比売は假字也、○祭神明か也○笥井村に在す、今信田宮と称す、(大和志)

神社覈録



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