「式内社調査報告」は「平安末期から中世期を通じて春日の末社・紀伊神社の祭神を、神名帳所載の赤穂神・島田神・御前社石立命神・天乃石吸神四座とする信仰が存した」と記している。 紀伊神社が式内社赤穂神社・島田神社・御前社石立命神社・天乃石吸神社の比定社であるとしている。 紀伊神社は、藤原氏がこの地を治める以前、豪族・紀氏(きし)の氏神であったともされている。 平安末期頃から中世にかけての紀伊社祭神は赤穂神以下四神で、江戸時代には日前神以下紀伊国の四座に変わったと推測される(多分に、紀伊という社名によるものであろう)。 |
紀伊神社 近世「奥の院」と称されていたこの御社の主祭神五十猛命様は素盞鳴命様の御子神で、紀伊の国へ樹木の種をもたらした樹神とされています。 また境内の南端に御鎮座する当社の手前には、二つに割れた大石があります。これは鎌倉時代の記録にも見られる「伊勢遥拝石」で、この間に向けばちょうど伊勢の神宮の方角にあたることから、遥かにお伊勢様をお参りする場所であります。 鎌倉以降盛んになる伊勢信仰の名残と思われますが、もともとは磐座の一つとも考えられています。 春日大社HP |