佐保川堤防の上のごく小社。 昭和47年(1972)堤防沿いの道を拡幅した際に、少しだけ、神社を西へ移設。 境内の北東に接する少し小高いところが旧社地。 往古、さらにこの地点より北に鎮座していたのだそうで、100m程度北に旧地と伝える場所がある。 旧地は現鎮座地の北約100mのところにあったが、永禄年間に松永久秀の兵火によって焼失したため現在地に遷座したとされている。 旧社殿地より、神鏡が3面発見され、今の高橋神社の神宝になっている。 |
高橋神社 高橋は多加波之と訓べし○祭神高橋朝臣祖歟○八條村薦枕川東に在す、(大和志)○日本紀、崇神天皇8年4月乙卯、以喬橋邑人活日爲大神之嘗酒、○姓氏録、(左京皇別上)高橋朝臣、阿倍朝臣同祖、大稻輿命之後也、景行天皇巡狩東國、供献大蛤、于時天皇喜其奇美、賜姓膳臣、天渟中原瀛真人(諡天武)12年、改膳臣、賜高橋朝臣、」同、(摂津国皇別)高橋臣、阿倍朝臣同祖、大彦命之後也、 連胤按るに、姓氏録皇別神別の両流あれば、何とも考へ得ず、然れど当社を、皇別高橋朝臣の氏社と決めたるは、本朝月令に引用いる高橋氏文に拠て也、猶考ふべし、 類社 山城國愛宕郡高橋神社の下見合すべし 神社覈録 |