奈良豆比古神社
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   【延喜式神名帳】奈良豆比古神社 鍬靫 大和国 添上郡鎮座

   【現社名】奈良豆比古神社
   【住所】奈良県奈良市奈良阪町 2489
       北緯34度42分15秒,東経135度50分2秒
   【祭神】(向かって右) 春日王
       (中央)    平城津比古大神
       (向かって左) 春日宮天皇
       『式内社考』では中殿が南良春日宮大神(奈良豆比古神)、左殿が春日若宮(天押雲根命)
       右殿が矢幡大神(施基親王)としている。
       彦狭嶋王『神名帳考証』

   【例祭】
   【社格】
   【由緒】宝亀2年(771)正月20日に光仁天皇の父にあたる施基親王を奈良山春日離宮に祭つた
       同11年11月21日 春日大社の第四殿の姫大神を当社に勧請
       保延2年(1136)11月22日に春日若宮を北方の左座に移した

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】奈良坂春日社と俗称されていた
   【社殿】本殿(北方) 銅板葺黒塗・本殿(中央) 銅板葺黒塗・本殿(南方) 銅板葺黒塗
       拝殿・集会所・神饌所・御供所・井戸屋形

   【境内社】

当地は、光仁天皇の父の施基親王(春日宮天皇)が病気療養のために隠居していた奈良山春日離宮の地であり、宝亀2年(771年)、その地に施基親王を祀ったのに始まる。
三社殿あり。(南)社が当初あり、春日大社隆盛につれて(中)(北)が祭祀される。
本殿西方の崖地には巨大な樟があり、樹齢約千年余、土際の幹の廻り約12m80p、樹高約30メートルに達すものがあり、奈良縣指定天然記念物に指定ざれている。
能楽の源流である猿楽(さるがく)がこの社で発達したことは確かであろう。県の文化財(1960)である。又、国の無形文化財(1980)である。
毎年10月8日、当社宵宮祭翁講で奉納される舞は、翁と脇の三人舞や対面せずに行う三番叟と千歳との問答など特色あるもの。宮座保存会がある。


奈良豆比古神社

猿楽を発達させた神様
むささびは梢(こぬれ)求むとあしひきの
  山の猟夫(さつお)に会ひにけるかも (万葉集巻三 志貴皇子)
平城山にも紅葉が増し、過ぎゆく晩秋を告げていた。奈良阪を登りつめて、般若寺から、さらに北へ京への国道と交差するあたり、土地の人に〈奈良阪の明神さん〉と敬愛される古社が奈良豆比古(ならつひこ)神社である。生けがきのすき間から鏡池の濃い緑が樹影を映し、石の鳥居から、古い灯ろうをわけて、石畳が西の拝殿へと伸びている。一段高く柵の内に春日造りの三神殿があって、祭神は、中央に平城津比古(ならつひこ)の神左右は春日宮天皇と春日王である。神殿はいずれも、二十年毎の〈御造営〉を戦時中も欠かすことなく、建築も塗りもきれいであった。そのかたわらに巨大なコノテガシワの切り株がある。惜しくも昭和27年(1952)に枯れたものだが、植物学者の小清水卓二・帝塚山大教授が『樹齢千三百年にもなろうか』と嘆息した、古木であった。さらに原始林をしのばせる本殿裏の境内地にひときわ目立つクスの巨樹は、天然記念物である。根もと幹回り13mにも達するクスはまさに古色そう然として、千二百年前『光仁天皇の父・田原太子が療養のため、大木しげる奈良山の一社に隠居さる』との伝説を裏づけていた。
古く延喜式神名帳に、添上郡奈良豆比古神社の名が出ており、その縁起にいう。『光仁天皇宝亀2年(771)正月20日、施基(しき、志貴、同)皇子を奈良山春日離宮にまつる。奈良津彦の神これなり。のちに田原天皇と、おくり名をたてまつる』つまり、祭神の平城津比古神は志貴皇子であった。万葉歌人としても名高い皇子は、天智天皇の子であり光仁天皇の父である。天武系で占められた奈良朝末期、称徳女帝に子がないところから、天智系の光仁が即位、父志貴も大きくよみがえった。〈田原天皇〉とも呼ばれるが、春日宮天皇として、その陵は高円山裏の矢田原にある。奈良豆比古神社が古くから〈奈良阪春日社〉と称された由縁であり、いわゆる春日大社とは全く異なるものである。春日王は、志貴の第二皇子であり、桓武に続く平城天皇とゆかり深いが、また〈歌舞音曲の司神〉とされた同社の祭神にふさわしい。王の皇子・浄人は散楽(さんがく)俳優を好み、その芸術をもって明神に祈り、父の病を治した。『すなわち、世にいう。申楽(さるがく)芸能の翁(おきな)三番叟(さんばそう)等の面は浄人に起こると。当郷の人の能芸をなすは、この余風なり』『奈良坊目拙解』奈良神社の条の一節だが、能楽の源流である猿楽(さるがく)がこの社で発達したことは確かであろう。県の文化財(1960)である。又、国の無形文化財(1980)である。同神社の能面(べしみ)は室町初期応永20年(1413)の銘を持つ最古のものであり、他にも多くの能、狂言面を残している。〈司神〉として、歌舞音曲の役者たちが、明治維新までこの神社にもうで、許しを得たものであった。
(向かって右) 春日王
(中央)    平城津比古大神
(向かって左) 春日宮天皇
ガイド
奈良市奈良阪町。奈良交通バス・奈良阪停留所下車。
同神社宵宮の毎年十月八日に奉納される『翁舞(おきなまい)』は、無形文化財。奈良国立博物館に移管されている面は、翁、黒色尉、尉、中将、平太、怪士、般若、曲見など能面と、祖父、武悪、狐、うそぶき、乙など狂言面と数多い。

由緒書



翁舞

当神社で秋祭宵宮(10月8日夜)に奉納される「翁舞」は能楽の源流といわれ、国、県の無形文化財として指定されています。
当社は「延喜式神名帳」に名を連ねたる古い神社で「翁舞」は祭神春日王の柳井の平癒を王の皇子浄人の祈願で舞を奉納したのが起源といわれています。現在の翁舞はいわゆる式三番で大夫・千歳・三番叟・脇によって天下泰平、国土安穏を祝い神威にて氏子の繁栄と豊作を祈願する舞となっています。
神社に残る舞楽面は翁を始め25体は奈良国立博物館に保管されていますが、そのうちの「べしみ面」は応永20年(1403)2月21日の刻銘があり、今の様式は既に室町時代に行われていたことは明らかであります。
又祭神春日王は猿楽を発達させた芸能の神様として歌舞・音曲の役者達が明治維新の頃までこの神社に詣でて興行の許可を得たと伝えられています。
昭和59年10月
奈良豆比古神社 奉賛会

社頭掲示板



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