鳴雷神社[春日大社境外末社]
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   【延喜式神名帳】鳴雷神社(大 月次/新甞) 大和国 添上郡鎮座

   【現社名】鳴雷神社
   【住所】奈良県奈良市春日野町160
       北緯34度40分38秒,東経135度52分19秒
   【祭神】天水分神
   【例祭】例祭 10月2日
   【社格】
   【由緒】貞観元年(859)7月5日列官社『三代實録』
         明治9年(1876)8月、春日神社境外末社「式内鳴雷神社」と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初から春日山に祀られていたか。

   【祭祀対象】
   【祭祀】中近世には「高山社」・「高山龍池社」・「高山龍王宮」・「龍王社」
   【社殿】本殿流造 

   【境内社】なし

現地は春日山稜線の南端に近い標高380メートルの山林中で、現在は春日奥山ドライブウエーが、石敷の旧柳生街道(東海自然歩道の一部)と交わる地点から北約150mに所在する「高山神社」(現春日大社末社)の、更に北約100m、急坂を登つた杉林の狭い台地の一段高い南斜面に鎮座する。
社前の古池を「龍王池」と称する。龍王池はそもそも、鳴雷神社の神体として原始的な水源祭祀の対象となっていたものと思われる。


竜王池

鳴雷神社は明治の初年まで「高山(香山)竜王社」と呼ばれた。社名は、眼前の竜王池にかかわる。池の岸は堅固な石積みであるが、東岸に池底へ下りる階段が設けられる。春日大社の大東延和氏によれば、「社にまつる神が水に潜って竜に化身、昇天して雷雲を呼ぶ、そのための石段」ということだ。竜もまた中国の思想と仏教思想が混交して、水を司る竜神としてあがめられ、中世以降広くまつられるようになった。
大正12年、竜王池から石製塔婆(経筒)が発見されたが、そこには正安3年(1301)の祈雨神事の銘文があった。
「相当此年炎干過去之間、為国土豊穣、於断食七箇日参籠高山社、仍結日降法雨、然間為果宿願、於春日社壇、奉転読法花妙典一千部、成現当二世悉地仍注結縁衆交名、奉納塔婆内而己、正安三年辛丑九月日勧進沙門西念 敬白」
西念が塔婆を奉納した正安三年は、東金堂衆が水船を高山社に奉納した正和四年に近い。また、西念が参籠したのも高山社とある。高山社も鳴雷社も水にかかわる神をまつるが、近世には春日山中にある他の神社、神野社、上水谷社、本宮社を含めた五社を春日の神官が巡拝登山して祈雨神事を行った記録が残る。
地元の農家を始め、市内各所の地区から登山して雨乞い祈願する「香山参り」の慣習がかつてあったことも報告されている。

http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm041.html



鳴雷神社 大月次新嘗

鳴雷は奈留伊加都知と訓べし〇祭神鳴雷神〇春日香山に在す、今髪生(カミナリ)宮と称す、(大和志)○古事記上、伊邪那美命、為黄泉戸喫、於左足者鳴雷居、
類社
宮中主水司坐鳴雷神社

神社覈録



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