木津川を見おろす地。川沿いの崖の中腹に鎮座する。勝手神社境内への移転後「岡田国神社仮借(イソロ)社」と呼ばれていた。「イソロ」は居候のこと。本殿が2棟並び、向かって右が勝手神社、左が春日神社。 岡田國神社は元は東方500mほどの小字「一町久保」の地に鎮座していたものの、木津川の土砂の堆積に伴う浸水により勝手神社の境内に遷座という。 |
春日社 岡田國神社はもと岡田恭國仁郷鎭護の大社にして、今の木津川南岸なる大字大野小字一町久保官林中の其古跡と称する地にありしを、木津川上流の開拓と共にこの辺の川底は漸次土砂堆積し、終に時々浸水するに至り、又社地となすに適せざるより、中世傍近なる勝手神社の境内を拡張し、其中央正面の良地を相し一社を創立し、旧社國神社の祭神並に其境内に祭り來れる春日社とを合祀し、南都春日社の感化を受くる時代のことゝて春日社と称し、又國神社仮借社とも称し來りしこと事実たり、今序を遂ひて考証すベし 『山城相樂郡誌』 |