相楽神社
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   【延喜式神名帳】相楽神社 山城国 相楽郡鎮座

   【現社名】相楽神社
   【住所】京都府相楽郡木津町相楽清水1
       北緯34度44分11秒,東経135度48分0秒
   【祭神】足仲彦命 誉田別命 気長足姫命
       祭神詳ならず『神社覈録』
       足仲彦命 誉田別命 気長足姫命『特選神名牒』
       韓神『神名帳考証』

   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】
   【由緒】室町時代の本殿があり、室町期よりは存在
       明治10年(1877)式社とする

   【関係氏族】
   【鎮座地】室町期にはこの所にあった

   【祭祀対象】
   【祭祀】八幡宮と称していた
   【社殿】本殿流造 重要文化財
       拝殿・社務所・神饌所・氏子詰所二・神門

   【境内社】円野比売神社等五社 飛地境内として、近鐵山田川駅西北方に白山神社
   【境内図】 境内図

木津川の支流山田川の南岸、相楽小学校の西隣に鎮座。
山から離れた地点に明らかにそれと知れる社叢を有する。
本殿やや微高地。鳥居には八幡神社とあり。奈良時代に宇佐より八幡を勧請して相楽神社としたとの伝あり。
重要文化財である相樂神社本殿は、その建築様式等から室町初期めものと推定されてをり、すくなくとも室町物期以降、当社が現社殿の如き外見であった。
呼び方が『全国神社祭祀祭礼総合調査』では「さがなかじんじゃ」となっているが『調査報告』では「サカラカノ」としている。


相楽神社

相楽神社は木津町大字相楽地区(旧相楽村)〔北ノ庄、大里、曽根山の三区〕の産土神として祀られ、氏子は心の拠りどころとして信仰厚く、又、最近は近郷新開地からの参詣者もふえ、正月の初詣ででは門前列をなす賑わいである。創立は定かでないが、明治10年(1877)『延喜式』神名帳に相楽郡の一座「相楽神社」と、明記されていることが分り、それまでは誉田別命(応神天皇)・神足仲彦命(仲哀天皇)・気長足姫命(神功皇后)の八幡神を祭祀されてあるので八幡神を祀る神社の総称である「八幡宮」で呼ばれてきた。今も「はちまんさん」と呼ぶ古老もあり、社頭には八幡宮の額が掲げられている。
当社の大祭は正月1日の元旦祭、2月15日の祈年祭、10月17日の秋祭の三回で、中でも秋祭は宮座の総集会ともいえる行事が行われ、南・北両籠り所に九座90人の十人衆が紋付羽織の衣装で当屋から料理の饗応を受ける。当日は三区から子供御輿もかつぎ出され賑やかである(大正初期までは大人がかつぐ本みこしも出たが、その後、中絶)。大祭の外、毎月朔日、15日、28日には月例祭、又、氏子から祈祷申出の宮参り、11月の七五三参り等、月数回、神饌を供し、祝詞を奏し、神楽をあげる。
当社は古い社殿や伝統的な祭事がよく保存されて、信仰の神域であるが、又、有形、無形の行事も多いので、近年、史家・学徒の訪れる数も多くなってきた。
◎建物 ○相楽神社本殿 重要文化財 明治44年文部省指定(1911)
三間社流造檜皮葺、各所に優秀な彫刻が施され、室町時代初期の造営
○若宮神社本殿 京都府登録文化財昭和60年指定(1985)
相楽神社本殿の南側にある末社の一つで槍皮葺、一間社春日造で古式をよくとどめている。
室町時代後期の造営

由緒書




相楽神社

祭神 足仲彦命 誉田別命 気長足姫命
所在地 京都府相楽郡木津町相楽清水
相楽神社は北ノ庄・大里・曽根山区(旧相楽村)の産土神として古くから祀られてきた社です。近世までは単に八幡宮と呼ばれていましたが、明治に至って、平安時代の法典「延喜式」に記された「相楽神社」に定められ現在の名となりました。
相楽神社 本殿 三間社流造 桧皮葺 室町時代初期身舎正面の蟇股の藤唐草・透彫りの欄間・妻飾りの組物など見るべきものが多くあり、重要文化財に指定されています。
末社若宮神社本殿 一間社春日造 桧皮葺 室町時代後期
各所に古様なつくりが残されており、府登録有形文化財担っています。
相楽の御田と正月行事
相楽神社に伝わる年頭の宮座の行事で、月々の降水量を占う「豆焼」(1月14日)、早稲・中稲・晩稲の作柄を占う粥占と稲作の過程を模して豊作を祈る御田(15日)、竹串に多くの餅を差して花に見立てたものを奉納する餅花(2月1日)、年間降水量を占う水試(旧暦1月15日)などがあります。これらの正月行事には中世的な宮座祭祀のあり方が良く残されており、府指定無形民俗文化財に指定されています。
多くの貴重な文化財がある当社は、周囲の環境を変えることなく将来に伝えていくため、境内一帯が京都府文化財環境保全地区になっています。
平成2年3月
相楽神社
木津町教育委員会

社頭掲示板



御祭神並由緒

神足仲彦命 誉田別命 気長足姫命 以上八幡神
由緒
当社相楽郷の地は昔天平時代薬師寺、唐招提寺、西大寺等の多数の堂塔伽藍建立の用材運送の歌姫街道口の基地として発展し、続日本紀にも天平12年右大臣橘宿禰の相楽別業(別荘)ありしことも見え、万葉集の長歌に『朝霧のはのかになりつつ山代の相楽山の山際を云々』の句あり、当時より景勝の地であったと考えられ、この地に奈良時代大いに八幡崇敬の高かった八幡神を宇佐宮より勧請してここに相楽神社を創建したものと考えられます。平安時代に入り醍醐天皇の時選述せられたる延喜式神名帳によれば山城国相楽郡六社のうちの一社として本社のことが見えております。当社の社殿が室町時代のもので、その規模その秀麗さから見て古くより尊崇の高かったことがうかがわれ、尚近年本殿修理の際基礎工事中地下三・四尺の所より発見せる藤原時代より鎌倉時代に至る古瓦及び祭祀用土器破片等によりてもこのことがうかがわれるのであります。
尚当社の境内は明治中期以前は小学校の敷地も含み歌姫街道に面しその規模も極めて壮麗なもので、郷中の尊崇も極めて高く、今日氏子中より選出せられたる宮守によりて絶えず格勤に奉仕されているのであります。

社頭掲示板



相楽神社

相楽神社は木津町大字相楽(さがなか)地区(旧 相楽(さがなか)村) [ 北ノ庄、大里、曽根山の三区]の産土神として祀られてきました。創立は定かではありませんが、明治10年(1877)に『延喜式』神名帳に相楽 (そうらく)郡一座「相楽(サカラカノ)神社」と明記されていることがわかりました。それまでは誉田(ほむだ)別命(わけのみこと)(応神天皇)・神足仲彦命(かんたらしなかひこのみこと)(仲哀天皇)・気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)の八幡神を祭祀しているので、八幡宮神社の総称である「八幡宮」と呼ばれてきました。
見どころ
正月行事一連が京都府指定無形民俗文化財に指定されており、毎年地元内外から多くの見物客が訪れます。相楽神社本殿(室町時代初期造営)は重要文化財、相楽神社末社若宮神社本殿(室町時代後期造営)は京都府登録文化財に、神社の森一帯は文化財環境保全地区に指定されています。社務所横にある欅の古木(神木)は「京都の自然200選」に選定されています。 つぶやき
年頭の宮座行事が古風のままに残っており、大変興味深いです。1月の「豆焼き」、「粥占」、「御田」に続き、2月の餠花まつりでは、竹串に数重の餠を刺した餠花が奉納されます。餠花の大きさは日本でも類をみないほど大きなもので、その大きな餠花がいっぱいに飾られた様子は見事です。

社頭掲示板



【文化財】

相楽神社本殿 重要文化財(建造物) 室町前期  三間社流造、檜皮葺
相楽神社末社若宮神社本殿 京都府登録文化財
神社の森一帯 文化財環境保全地区に指定
正月行事一連 京都府指定無形民俗文化財に指定

社頭掲示板



式内社 相楽神社

祭神
 足仲彦命(仲哀天皇) 誉田別命(応神天皇) 気長足姫命(神功皇后)
所在地 木津川市相楽清水
相楽神社は、北ノ庄区・大里区・曽根山区(旧相楽村)の産土神として古くから祀られてさた社です。近世までは単に八幡宮と呼ぱれていましたが、明治に至って、平安時代の法典「延喜式」に記された「相楽神社」に定められ現在の名となりました。
相楽神社本殿 三間社流造 檜皮葺 室町時代初期
身舎正面の、蟇股の蔦唐草・透彫の欄間、妻飾の組物なビ見るべきものが多くあり、重要文化財に指定されています。
末社若宮神社本殿 一間社春日造檜皮葺 室町時代後期
各所に古様なつくりが残されており、府登録有形文化財になつています。
相楽の御田と正月行事
相楽神社に伝わる年頭の宮座の行事で、月々の降水量を占う「豆焼」(1月14日)、早稲・中稲・晩稲の作柄を占う粥占と稲作の過程を模して豊作を祈る御田(10月5日)、竹串に多くの餅を差し花に見立てたものを奉納する餅花(2月1日)、年間降水量を占う水試(旧暦1月15日)などがありまず。これらの正月行事には中世的な宮座祭祀のあり方がよく残されており、府指定無形民俗文化財に指定されています。
多くの貴重な文化財がある当社は、周囲の環境を変えることなく将来に伝えていくため、境内一帯が京都府文化財環境保全地区になっています。
平成2年3月
相楽神社
木津川市教育委員会

社頭掲示板



相樂神社

相樂は郡名に同じ、和名鈔、(郷名部)相樂、(佐加良加)○祭神詳ならず○相樂村に在す、今八幡と称す、

神社覈録



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