社名を調査報告は「大」とし、平成祭データは「太」とする。また、「綺原」は「カムハラ」「カンバラ」と読む説がある。 奈良時代に織物を生業とした綺一族の氏神という伝承がある。 木津川の支流天神川が山峡から平野部に出た地点の山麓に鎮座する。蟹満寺の北接。 明治10年6月に式内社と決定されるまで梶原社と呼ばれていた、梶原社の梶原は綺原の言い誤りであろう。近世に於ては綺田村の産土神。 |
綺原神社由来 ここに鎮座されます綺原神社は「大日本史」「日本書紀」「延喜式」にも綺原座伊那太比売神社として記述されており、祭神は「タテイナダヒメ」とされタテは健康イナダは稲田で達者で農耕にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。 ここの地名「綺田」はその昔、紙織または神織とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀った社とも言われており綺氏一族(秦氏一族)の創起だと言われております。 現在は菅原道真公を祭神とする天神社及び八王子社をおまつりしております。 社頭掲示板 |
綺原坐健伊那大比売神社 綺原は加牟波良と読り、」健は多介と訓べし、」伊那大は假字也、○祭神明か也○在所詳ならず 名勝志云、綺田村氏神社在蟹満寺南森内、土人梶原社ト呼ブ、疑是乎、連胤按るに、和名鈔、(郷名部)蟹幡とあるが、綺田と転訛せるなるべし、 神社覈録 |