綺原坐健伊那太比売神社
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   【延喜式神名帳】綺原坐健伊那大比売神社 山城国 相楽郡鎮座

   【現社名】綺原坐健伊那太比売神社
   【住所】京都府相楽郡山城町綺田山際16
       北緯34度47分12秒,東経135度48分59秒
   【祭神】健伊那太比売命
       健伊奈大比売『神社覈録』
       寄稻田姫命『大日本史神祇志』
       稲田姫命『神名帳考証』『特選神名牒』『山城相樂郡誌』
       健伊那太比売命 『神社明細書』

   【例祭】10月15日 秋季例祭 10月17日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】明治6年(1873)村社の社格
       明治10年(1877)6月に式内社と決定

   【関係氏族】奈良時代に織物を生業とした綺一族の氏神
   【鎮座地】明治23年蟹満寺の南西より現在地に遷されたという。

   【祭祀対象】綺一族の氏祖神
   【祭祀】明治10年6月に式内社と決定されるまで梶原社と呼ばれていた
   【社殿】本殿桧皮葺切妻造
       拝殿・御役所

   【境内社】天神社・春日神社・倉稻穂神社・天照皇大神社
        春日神社・九元神社等 天神社・八王子社


社名を調査報告は「大」とし、平成祭データは「太」とする。また、「綺原」は「カムハラ」「カンバラ」と読む説がある。
奈良時代に織物を生業とした綺一族の氏神という伝承がある。
木津川の支流天神川が山峡から平野部に出た地点の山麓に鎮座する。蟹満寺の北接。
明治10年6月に式内社と決定されるまで梶原社と呼ばれていた、梶原社の梶原は綺原の言い誤りであろう。近世に於ては綺田村の産土神。


綺原神社由来

ここに鎮座されます綺原神社は「大日本史」「日本書紀」「延喜式」にも綺原座伊那太比売神社として記述されており、祭神は「タテイナダヒメ」とされタテは健康イナダは稲田で達者で農耕にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。
ここの地名「綺田」はその昔、紙織または神織とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀った社とも言われており綺氏一族(秦氏一族)の創起だと言われております。
現在は菅原道真公を祭神とする天神社及び八王子社をおまつりしております。

社頭掲示板



綺原坐健伊那大比売神社

綺原は加牟波良と読り、」健は多介と訓べし、」伊那大は假字也、○祭神明か也○在所詳ならず
名勝志云、綺田村氏神社在蟹満寺南森内、土人梶原社ト呼ブ、疑是乎、連胤按るに、和名鈔、(郷名部)蟹幡とあるが、綺田と転訛せるなるべし、

神社覈録



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