神奈備神社
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   【延喜式神名帳】甘南備神社 山城国 綴喜郡鎮座

   【現社名】神奈備神社
   【住所】京都府京田辺市薪甘南備山10
       北緯34度48分31秒,東経135度44分39秒
   【祭神】天照大神 葺不合命 大国主命 天児屋根命
       神魂命・甘神『神名帳考証』(出口延経)
       甘南備眞人祖歟『神社覈録』

       延喜式では一座であり、何時の頃かに4座に替わったと思われる。
       甘南備真人氏族の後裔が、その祖神(難波王か)を祀ったとも思われる。

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平年間(729-749)行基が神宮寺の甘南備寺を開創したという
       宝亀2年(771)、神封一戸が寄進
       明治6年(1873)6月村社
       明治10年(1877)6月延喜式内社と決定

   【関係氏族】甘南備真人祖
   【鎮座地】甘南備神社が甘南備山の山頂ないし山腹に鎭座していたのは明らかで異説はない

   【祭祀対象】神体山信仰
   【祭祀】社名が変更されていたことはない
   【社殿】本殿は切妻造 極めて小さい祠

   【境内社】なし
   【寺院】甘奈比山の半腹に薬師像を本尊とする甘南備寺があった

神南備山の山頂に鎭座
現在は神南備神社、山を神奈備と称している
当社の位置、そしてカンナビの語義からして、元来は神体山信仰を母体とするもの
「神武天皇が御東遷の際に此地を通られ、また天神地祇をここでお祭りになつた」との伝承がある。
桓武天皇による平安京造営に際して、甘南備山は京都の中軸線として朱雀大路建設の目印にされたという。
当社と麓の薪神社は、神奈備山に坐す山宮と、それを拝するために人里に設けられた里宮という関係かもしれない。
1977年5月2日に社殿の修築が施され、祭神は、天照大神、天児屋根命、大国主命と記された神名札が神櫃の中に安置されている。


神奈備神社

甘南備山の頂上に鎮座している。「かんなび」とは古来、神の御座所のことで、社殿を持たなかった時代には山嶽(さんがく)や森林などを神の御座所とし「神の社」「かんなび」「みもろ」と呼んでいた。神南備神社は、延喜式の制で小社に列せられたが、明治6(1873)年には村社格に、明治10(1877)年には延喜式内甘南備神社となった。 昭和5(1930)年に、神殿・神門・板塀と社地を取り巻く石柱・石の玉垣・石の鳥居が完成、現在の姿となっている。 ※小社…古く、神社の社格を大・中・小に分けたうちの最下位の神社

京田辺市観光協会



神奈備神社

平安時代に編集された延喜式には甘南備神社とあるこの神社は、天照大神・天児屋根命・鵜葦葺不合命・大国主命を祭神としている。
現在の社殿は昭和52年(1977)に修築されたものである。
社殿のあるこの甘南備山(標高217.5m)は、古来より神の拠りつく山として信仰の対象とされていた。平安京造営の際には京の中軸線(朱雀大路)の目印になったとみられている。
昭和34年から毎年1月3日は、新春甘南備山初登りで山頂はにぎわいをみせる。
南東に下がった通称「薬師谷」には、『今昔物語集』にその名がみえる神奈比寺の跡が残る。
京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会

社頭掲示板



甘南備神社

甘南備は加牟奈毘と訓べし〇祭神甘南備真人祖歟○薪村西南廿余町甘南備山嶺に在す、(山城志)○、姓氏録(左京皇別)甘南備真人、出自諡敏達皇子難波王也、
類社
丹破國何鹿郡河牟奈備神社、備後國芦田郡賀武奈備神社、

神社覈録



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