敏達天皇2年、勅により酒部連友夏をして佐賀彌豆男神・佐賀彌豆女神を咋岡山本に鎭座せしめ、造酒司官人が毎年幣帛を奉る佐牙神社が成立した。さらに津速魂神19世眞人連公の孫中臣酒屋連が神託によつて酒彌豆男神の子酒彌豆倉神を西側の山上に祀つたのが酒屋神社であるという。 山麓に鎭座する酒屋神社の西方山上に”酒壼"と称する数坪の区画があり、その昔、ここに酒器を埋めたという説がある。 酒屋神社の境内社の一に埴山毘売神を祭神とする壼神社がある。これらの事実は酒屋神社が酒造(というよりは、むしろ酒器製造というベきか)と関係する神社たることを実証するものかも知れない。境内社の一として火産霊神社があるのも、酒器製造の窯の守護神として奉祀されたものであろうか。 佐牙神社が、もし実際造酒司と繋がりを持つとすれば、“酒器製造の守護神"酒屋神社との関係は、『佐牙神社神紀』が説くように、極めて親密なものであつたかも知れない。 |
酒屋神社(式内社) 創建年代は不詳ですが、現在の本殿は明治9年(1876)の再建で一間社流造、正面に千鳥破風向拝の前面軒唐破風を加えたものです。津速魂神(天児屋根命の祖父)と応神天皇を祭神としています。 社伝によると神功皇后の三韓に出兵するとき三個の酒壺を神社背後の山中に安置して諸神を祭り、帰国後その霊験を喜んで社殿を創立したと云います。 また、河内国を本貫とし酒造を業とする中臣酒屋連の一族が来住して祖神を祭ったものともいわれています。 貞観元年(859)正月には「酒殿神」として従五位下を賜っています。(三代実録)いずれにしても江津地区にある佐牙神社ととも酒造に縁の深い神社です。 例祭 10月15日 境内末社 埴山毘売を祭る壺神社ほか九社 田辺町教育委員会 田辺町文化財保護委員会 社頭掲示板 |
酒屋神社 京田辺市興戸宮前100番地 創建年代は明らかでないが式内社で、「日本三代実録」の貞観元年(859)正月に従五位下に叙せられた諸神に「酒殿神」とみえる。 現在の本殿は明治9年(1876)の再建で、一間社流造、正面に千鳥破風、向拝の全面に軒唐破風を加えている。 祭神は津速魂神と応神天皇である。 社伝によれば、神功皇后が通ったとき三個の酒壺を神社背後の山上に安置し諸神を祭り再度通ったときは社殿を創立したとある。 また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が来住して、酒造りを伝え、祖神をまつったものという。 江津区にある佐牙神社とともに酒造りに縁のある神社である。 例祭11月3日 末社 埴山毘売を祭る壺神社ほか 京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会 社頭掲示板 |
酒屋神社 創建年月など不詳だが、かつて神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓遠征の際、神社背後の山に酒壺を三個安置して出立、帰国後その霊験に感謝して建てられたとも。本殿は明治9(1876)年の再建で一間社流造り、屋根に特徴があり、千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)を配した姿は山城地域では県(あがた)神社(宇治市)本殿など、限られたところにしか見られない。 神功皇后が朝鮮より持ち帰った“九山八海の石”が今もここにあるという。 また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)の一族が来往して、酒造りを伝え、祖神を祭ったものともいわれる。 佐牙神社とともに酒造りに縁のある神社である。祭神は、津速魂神(つはやむすびのかみ)と応神天皇。 近くには興戸の大池があり、初夏の青葉、秋の紅葉と季節によって様々な美しい姿を見せてくれる。 京田辺市観光協会 |
酒屋神社 酒屋は佐賀也と訓べし、和名鈔、(飲食部)酒、(佐介○介を加と唱ふるは音便也)○祭神酒屋連祖歟、○興戸村に在す○姓氏録、(河内国神別)中臣酒屋連、津速魂神十九世孫真人連公之後也、 山城志云、有石門標、鐫曰、肌穀庄酒屋大明神、 類社 河内國丹比郡酒屋神社 神社覈録 |