青谷川沿いのごく小社。薮の中の社。手入れも良くない。 粟直の氏神社とする 古代農業の灌概用水源を祀る意味もあつたものであろう。 孝安天皇の御代、平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊神が降臨し、祀られたのが當社である。 近世以降は粟明神ないし粟大明神を称していたようである。 山麓を利用した社叢を有する。 もと今のところより東へ約5〜600m余り、小字松尾(鎭守屋敷という)にあつたが、中古、いまの地にうつした。 市辺の集落はかつて当社付近にあつたと言われ、青谷川の氾濫によつて現在地ヘ移動したという。從つて現粟神社は集落からは完全に孤立している。 |
粟神社 粟は阿波と訓べし、和名鈔(稲穀部)粟、(仮字上の如し)○祭神粟直祖神歟○市邊村粟谷に在す、山城志 類社 和泉國和泉郡粟神社 氏人 続旧本紀(宝亀7年6月甲子、近衛大初位下粟人道足等十人賜姓粟直、 神社覈録 |