樺井月神社[水主神社境内社]
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   【延喜式神名帳】樺井月神社(大 月次/新甞) 山城国 綴喜郡鎮座

   【現社名】樺井月神社
   【住所】京都府城陽市水主宮馬場1
       北緯34度50分36秒,東経135度45分41秒
   【祭神】月読命
       天月神命『神社覈録』

   【例祭】 2月20日
   【社格】
   【由緒】大宝元年(701)神稲奉祀
       承和12年(845)5月牛疫を治療するための祭料物を賜る
       貞観元年(859)従五位上
       寛文12年(1672)水主神社の兼掌となつた

   【関係氏族】
   【鎮座地】元来の位置はおそらく綴喜郡大住
        寛文12年(1672)現地へ遷
        もと棚倉村縞田(現山城町縞田)付近に鎭座していたとする説もある
        現在の月讀神社境内に祀られていたという説もある

   【祭祀対象】樺井の渡の守護神
   【祭祀】名称の変化はない、祭祀は継続している
   【社殿】水主神社の境内社として檜皮葺流造の小さな本殿を有する

   【境内社】

当社は樺井の渡の守護神と思われる
この渡は大河木津川を渡る交通上の要衝であり、これを守護するために、綴喜郡側に当社が建立されたのではあるまいか。
後世久世郡側の式内水主神社の境内社となるに至つたが、これは洪水による流失のためであつたらしい。
旧社地は大住郷の高台にある月読神社(京田辺)の北東方・木津川べりの低地にあったのでは、という(木津川の中州にあったともいう)。


樺井月神社

境内に式内社である樺井月神社がある。月読命を祭神とし古来より牛馬の神として崇敬されている。 元々京田辺市大住に鎮座していたが、木津川の氾濫によって1672年ここに遷座したと言う。大住には月讀神社が鎮座しているが、こ の水主神社の敷地に遷座したのは、木津川の渡しの両岸にあり、渡しの神としての性格上の相方にきたものと思われる。
 大住の月讀神社、樺井月神社の旧社地、水主神社、水度神社、水度神社の旧社地である鴻の巣山の峯つづきにあたる大神宮山は一直線上にあり、夏至の日の日の出を指していると言う。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



【社名】

綴喜郡には樺井月神社と月読神社の2社があるが、延喜式に載せる樺井月神社・月読神社は、本来は共に樺井月読社と言つたが、紛らわしいので一方は樺井社ないし樺井月社と略記し、他方を月読社と称した。

栗田寛『神祇志料』



水主神社

水主神社は往古より世にきこえた名神大社なり。其の祭神は天照御魂神(暁速日尊)、天香語山神、天村雲神、天忍男神、建額赤神、建諸隅命、建筒草命、建多背命、倭得玉彦命、山背大国魂命の十柱にして天照御魂神は即ち火明命にて氏の高祖なり第十世山背大国魂命にいたり山背に移り大に其の国に功烈あり之を尊みて山背大国魂命という。その子山城水主連となり世々其の祀を奉せしものなり延喜式には水主社十座並大月次新嘗と定められ、特に天照御魂神と山背大国魂命とは四季祭相嘗祭に預かり又祈雨大神の内に加わり仁寿貞観のころ加茂両社松尾稲荷住吉大社等諸社と共に新年祈雨の奉幣あり朝家御崇敬上下帰依信仰尤も厚しという。
樺井月神社
 祭神は月読命にて、今より1250年前、文武天皇大宝元年に神稲を賜り、貞観元年従五位上に進叙せらる。承和一二年五月京畿に牛疫流行。殊に綴喜相楽兩郡弊死して、殆んど盡きんとするや、当社に奉幣祈禳行われ日ならずして止む。延喜式には大社に列し、四度宮幣祈雨祭に預れる事、国史に見ゆ。古来朝廷より牛馬の守護神とて祈願奉幣と賜るは、当社以外に類を見ず。尚当社は綴喜郡に鎮座せしも、度重なる木津川洪水のため、280年前、当地に遷座す。
 衣縫神社と申すは、天地ひらけ豊組野尊の御神穂にして、天照大神の時より衣類の女神の仕業として世に備れり。左右に座する二柱の神達は、神代天香語山命の御子天村雲命より九世の孫にて、人皇13代成務天皇の御宇淡海国、志賀の高穴穂の宮に仕え奉り、糸縫針の職業を主宰し給う故に、末代の今に至るまで其職たる人達は、此の大神と祖神として敬い奉り給う。
  昭和54年11月
  水主神社

社頭掲示板



樺井月神社 大月次新嘗

樺井は加波為と訓べし、和名鈔、(草木部)樺、(加波)○祭神天月神命○今水主社傍に在す、今川上社と称す、古跡村の西北に在り、(山知り志)○式三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、樺井社一座、」同五十、(雑式)泉河樺井渡、
類社
丹波國桑田郡小川月神社、(名神大)
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授山城國從五位下樺井月読神正五位下、
宮幣
三代実録、貞観元年9月8日庚申、山城國樺井神、遣使奉幣、為風雨祈焉、
雑事
続日本紀、大宝元年4月丙午、勅、山背國樺井神神稲、自今似後給中臣氏、○続日本後紀、承和12年5月乙卯、山城國言、綴喜郡和楽両郡境内、始自去3月上旬、臨虫殊多、命ト其由、綴喜郡樺井社及道路鬼更為崇、即遣使祈謝之云々、

神社覈録








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