細長い境内。奥もあり広い社地。平地。川を渡って境内に入る。本殿のみ微高。石灯に「天王宮」とある。伊勢田は伊勢神宮に付属した御料田で、これを神格化したもの 伊勢神宮との関連性が早くから出来ていたものとみえ、その名にちなんで社名もつけられたものと思われる。 今の当社は、アマテラス以下の天つ神を祀っているが(天つ神の社)、風土記には“祇社(クニツヤシロ)”即ち“国つ神の社”との注記があり、穀霊神である大歳御祖命の御子神を祀るとあり、神社の性格・祭神ともに変わっていると思われる。当社当初の穀霊信仰(国つ神の社)から伊勢信仰(天つ神の社)へと変わった由縁は不明。 宇治市史に「延喜式が編集される頃までには、伊勢神宮とのつながりができ、伊勢田すなわち伊勢神宮の料田も設けられ、天照大神を祀るようになった」とある。 |
由緒 勧請の年歴詳ならずと云ども、山城国風土記によれば、大宝3年(人皇42代文武天皇の御世)9月初め奉主田幸祭礼とあり、約1,280余年前に鎮座なることを知る。 明治6年村社に列せられ、同年6月延喜式内伊勢田神社と決定す。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊勢田神社三座 鍬靱 伊勢田は假字也○祭神詳ならず○伊勢田村に在す、今天王と称す、(山城志)○惣國風土記残欠云、伊世田神社、圭田七十二束三毛旧、所祭天照大神也、大寳3年癸卯9月、始奉圭田行神礼、 連胤按るに、風土記祭神の説信用がたし、天照大神ならば何ぞ臣位を授けらるべき、 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授山城國正六位上伊勢田神從五位下、 神社覈録 |