遷座前の神社は黄檗公園辺りにあり、そこから西に延びる道は許波多神社の参道であった。その参道を西に進みJRと京阪の踏切を越えたところに神社の一の鳥居があったが、明治時代の遷座の際に鳥居の上部が外され、今は下部だけが取り残されている。 |
許波多神社鳥居沓石 許波多神社旧馬場の道標を西に行くとJRと京阪の踏切があり、越えると許波多神社一の鳥居沓石(基礎石)が道の両端にある、鳥居の上部がはずされ、下部だけがとり残されている。許波多神社拝殿前の鳥居を見れば、どのようになっていたのかすぐ分かる。追掛継(おっかけつぎ)と言うつなぎ方で、この石の上には木製の鳥居があった。北(高169cm直径47cm)と南(高174.5cm直径45cm)の2基あり、一般に直径の10倍が柱の高さというから470cm、この上に笠木が載るので約5メートルの鳥居が建っていたことになる。近くの東宇治中学校の生徒たちは、この石を京大のモアイと呼んでいるそうだ。 社頭掲示板 |