宇治上神社
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   【延喜式神名帳】宇治神社二座 鍬靫 山城国 宇治郡鎮座

   【現社名】宇治上神社
   【住所】京都府宇治市宇治山田59
       北緯34度53分31秒,東経135度48分40秒
   【祭神】應神天皇 菟道稚郎子尊 仁徳天皇
   【例祭】5月1日 春季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】
   【関係氏族】
   【鎮座地】創建当時より不変である。

   【祭祀対象】
   【祭祀】創建時より連綿として祭祀は継続している
   【境内図】 境内図


宇治川の東岸の朝日山の山裾に鎮座。神社建築では、日本最古という本殿を持つ。
拝殿(国宝)は、宇治離宮の遺構といわれる寝殿造り風の住宅建築。本殿(国宝)は平安時代の建築で、一間社流造りの三殿からなり、左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。
宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、明治維新までは、宇治神社と二社一体でそれぞれ離宮上神社、離宮下神社と呼ばれていた。
1994年12月に、「古都京都の文化財」のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録された。


国宝宇治上神社

神社の前の参道を宇治神社の境内を抜けて宇治川の畔までいくと、川をへだてた木立ちの間に力強い反りを見せた瓦屋根が見える。平等院の鳳凰堂である。
丁度、神社の位置は平等院の真向かいであることが判る。実は、宇治上神社と平等院とは、深い関係があった。
平等院ができてからは宇治上神社は、その鎮守としてあがめられ、例年の五月の祭礼には、藤原氏から神馬が奉納され、また散楽等も奉仕された。治暦三年、正三位の神位の授与のあったときには、天皇は平等院より神社に御幸されている。
もっとも、藤原氏が宇治院を手に入れるまでのことについては、はっきりとしたことは判らない。古くは、宇治上、宇治神社の両方をあわせて宇治明神、あるいは離宮社とよばれ、江戸時代には離宮明神といわれているところからみて、陽成天皇の離宮である宇治院の鎮守として、祀られたものとの見方も成り立つ。このように、神社の古い由緒については明らかではないが、神社の社殿である本殿、拝殿、摂社春日社等の諸建物は、この社が、古い歴史をもっていること、そして高度の造型技術を身につけた人たちにより、造営されてきたことを雄弁に語っている。これらの建築は文字に書かれた歴史以上の迫力をもって我々に深い感動を与えてくれる。
拝殿のすぐ右に、宇治七名水の一つである桐原水(きりはらすい)が、今日もなお清らかな水を湧出しているが、七名水のほとんどが、かれてしまった今日、何か有り難いような気がする。そしてこの環境が、千年近い年数の間、ずっと保たれてきているのに、今更のように驚くのである。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




宇治上神社

Ujigami Shrine
宇治上神社は、明治維新までは隣接する宇治神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と呼ばれていました。祭神は宇治神社の祭神でもある悲運の皇子菟道稚郎子のほか、父の応神天皇と兄の仁徳天皇を祀っています。本殿は平安時代後期の、神社建築としては最古のものに属する建造物で、一間社流造の内殿三棟を左右一列に並べ、後世これらに共通の覆屋をかけたものです。また、その身舎の扉には、建立当時の絵画が遺されています。なお、境内に湧き出ている桐原水は、宇治七名水の一つとされています。

社頭掲示板



宇治上神社

本殿は平安時代後期の建立で、神社建築としては現存最古とされる。流造、桁行5間(正面)、梁間(側面)3間、檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ。内殿は左殿(向かって右)に菟道稚郎子命、中殿に応神天皇、右殿(向かって左)に仁徳天皇を祀る(左殿・中殿・右殿を順に第一殿・第二殿・第三殿ともいう)。左殿と右殿は組物が三斗で、組物間に蟇股を置くなど、形式・規模がほぼ等しいが、細部の様式から左殿の方が年代が上がるとみられる。中殿は左右殿より規模が小さく、組物を舟肘木とし、蟇股を用いないなど、形式にも違いがある。外側の桁行5間、梁間3間の建物は内殿の覆屋にあたるが、内殿と覆屋は構造的に一体化しており、左殿と右殿の側廻りや屋根部分は覆屋と共通になっている。左殿と右殿の内陣扉内側には彩絵があり、建物とは別個に「絵画」として重要文化財に指定されている。左殿の扉絵は唐装の童子像2体、右殿の扉絵は束帯・持笏の随身像2体で、剥落が多いが、平安時代にさかのぼる垂迹画の作例として貴重である。国宝に指定。
拝殿は鎌倉時代前期の建立で、寝殿造の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す。桁行6間のうち、向かって左端の1間は柱間が狭く、隣接する庇部分とともに閉鎖的な1室を構成する。建物右端の庇部分も1室となり、これらに挟まれた中央の桁行5間 x 梁間3間分を広い1室とする。屋根は切妻造平入りの屋根の左右端に片流れの庇屋根を設ける。切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と称する。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸を多用した住宅風の構えである。本殿同様、国宝に指定されている。

社頭掲示板



宇治上神社

宇治上神社 うじがみじんじゃ
京都府宇治市宇治山田。旧村社。応神天皇・菟道稚郎子命・仁徳天皇を祠る。宇治神社を下社・若宮というに対して本神社を上社・本宮と称する。
また離宮明神・離宮八幡などとも呼んだ。
『延喜式』に記載の「宇治神社二座」(宇治神社とともに)をこれに当てている。本殿(桁行五間・梁間三間・一重・流造・檜皮葺・内殿三社・各一間社流造)は、現存する神社建築の中では最古の建造物とされて国宝指定。
また平安期の本殿(国宝)の第一殿に童形像二面、第三殿の随身像二面が描かれた扉絵(板絵着色)は重文取扱。このほか宇治離宮の遺構と伝承する拝殿(桁行六間・梁間三間・一重・切妻造・両妻一間通り庇付、向拝一間・檜皮葺、付桟唐戸四枚・蟇股一箇)も本殿と同じく国宝指定。また、境内社、の春日神社社殿(一間社流造・檜皮葺)一棟は、拝殿とともに鎌倉期の建築とされて重文指定をうけている。

神社辞典



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