東山本町陵墓参考地
ひがしやまほんまちりょうぼさんこうち 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】飛鳥田神社  一名柿本社 山城国 紀伊郡鎮座

   【現社名】東山本町陵墓参考地
   【住所】京都府京都市東山区本町16丁目
       北緯34度58分42秒,東経135度46分15秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

東福寺の側には近世まで塚本社という小社があった。この塚本社を「柿本社」に推定する説がある。
塚本社は、明治10年(1877)に祠が廃され、跡地の土塚は大正13年(1924)に陵墓参考地に指定された。
藤森神社では、藤森社本殿西座はこの塚本社が遷座したものだと伝えている。
承久3年(1221)に順徳天皇は懐成親王(仲恭天皇)に譲位し、鳥羽上皇の挙兵に協力したのが承久の乱。乱は鎌倉幕府によりたちまち平定され、後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流された戦後処理が行われた。この処理の中で2歳で即位した仲恭天皇はわずか81日間(5月13日〜7月29日)と歴代天皇の在位期間の中でも最短で廃位されただけでなく、その即位すら認められずに摂政九條道家に渡御、天福2年(1234)、17歳で崩御された。そのため諡号・追号がつけられず、九条廃帝、半帝、後廃帝と呼ばれていた。
明治3年(1870)に天皇として認められ、仲恭天皇と追号されたが、このような経緯のため葬られた場所も不明であった。
この地が仲恭天皇の陵墓との伝承があり、大正13年(1924)に陵墓参考地に指定された。



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