飛鳥田神社
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   【延喜式神名帳】飛鳥田神社 山城国 紀伊郡鎮座

   【現社名】飛鳥田神社
   【住所】京都市伏見区下鳥羽城之越町6
       北緯34度56分38秒,東経135度44分37秒
   【祭神】荷田竜頭之遠祖靈
   【例祭】10月 第3日曜日 秋祭
   【社格】城南宮境外摂社
   【由緒】弘仁七年(816)7月乙酉、官社の例に預る『日本紀略』
   【関係氏族】
   【鎮座地】 

   【祭祀対象】 
   【祭祀】江戸時代は「安須加多神社」と称していた

飛鳥田神社 一名柿本社とある。 城の越公園北。マンションの中庭の観あり。ごく小社。平地。
孝徳天皇白雉4年(653)天皇貴布禰賀茂両神の神託によって横大路に宮を造り、別雷命を勧請し、翌5年4月20日齋主卜部倉見をして奉幣せしめられたのを以つて當社の起源とすると云い伝えている。
この地区に飛鳥田神社があったのは確実であるがその継承社がいずれなのかは決めがたい。
祭神竜頭太は、秦氏系の伊奈利神が鎮座する以前から稲荷山にいた山の神であり、水を司る水神(雷神)でもあったといわれ、弘法大師が竜頭太から稲荷山を譲り受け、これを神として祀ったのが稲荷社のはじまりともいう。
この縁起は、伏見稲荷の神官の荷田氏に伝わるもので(竜頭太は荷田氏の祖神ともいう)、当社祭神が“荷田竜頭”を名乗ることからみると、この竜頭太なる山の神を祀るとも推測され、飛鳥田神社と称するものの伏見稲荷の摂社・田中神社との結びつきが強いともとれる。


飛鳥田神社

江戸時代の文書に、「荷田龍頭田の田に、祖先の霊が白い鳥となり稲の実を口に含んで飛来した。そこで祖先の霊を祀り飛鳥田神社と名付けた。真幡寸神社と同じく弘仁七年(816)に官社に昇格したが、神社の一帯に東福寺が建てられることになり、延応元年(1239)に今の地に遷られた」等と記される。米を始めとする五穀の神に加え子孫繁栄・子供の守り神であり、学力向上・受験合格・頭の病気平癒の神様と敬われる。

飛鳥田神社護持委員会



飛鳥田神社

ご祭神 荷田龍頭田の遠祖の霊
 城南宮の境外摂社で、南南西に800メートルほど離れた伏見区下鳥羽城ノ越町にお鎮まりになっています。『延喜式』の神名帳に神社名を見ることが出来、江戸時代の文書に、「荷田龍頭田(かだのりゅうとうだ、龍頭太とも書く、荷田龍頭のこと)の田に、祖先の霊が白い鳥となり稲の実を口に含んで飛来した。そこで祖先の霊を祀り飛鳥田神社と名付けた。真幡寸神社と同じく弘仁7年(816年)に官社に昇格したが、神社の一帯に東福寺が建立されることになり、延応元年(1239年)に今の地に遷られた」とあります。

城南宮公式HP



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