平地。鳥羽街道駅の東隣接。凋密した民家の間に狭まれて、わづかに社殿を容れるのみの小さな敷地である。 伏見稻荷大社の境外摂社となっている。 孝徳天皇白雉4年(653)天皇貴布禰賀茂両神の神託によって横大路に宮を造り、別雷命を勧請し、翌5年4月20日齋主卜部倉見をして奉幣せしめられたのを以つて當社の起源とすると云い伝えている。 この地域に飛鳥田神社があったのは確実であるがその継承社がいずれなのかは決めがたい。 一般の稲荷社にある“狐の置物”がないことから、祭神は稲荷神ではなく田中大神であろうか。 |
摂社 田中神社 御祭神 田中大神 火焚祭 11月11日 午後2時 月次初午祭、祈年祭、新嘗祭、本社より巡拝 構造 一間社見世棚造 銅板葺 建立 正保2年(1645) この神社は、伏見稲荷大杜の境外摂社で、社殿には正保2年(1645)の棟札が残されている。昭和7年に大修理がなされ多くの部材が取り替えられたが、蟇殿や虹梁等ほ彫刻絵様等から見て正保造営時まで遡ることが出来るものと考えられる。境内には正保造営時奉納の石燈籠や天保13年(1700)寄進の手水鉢がある。 創建は不明だが、古今著問集や十訓抄にはすでに田中の社の記述があり、次の様な話が伝わっている処から和泉式部の在世の一条天皇(在位986−1011)御代には建立されていた。 平安期の歌人和泉式部が稲荷詣の途次、田中の社近くで時雨に会い難渋している時、田を刈る童から蓑(雨具)を借り、無事にお参りできたので、童に蓑を返した。 ずると翌日、童から式部に和歌が贈られてきた、 時雨する 稲荷の山の もみじ葉は あおかりしりよち おもいそめてき 平安の昔より社名の如く五穀豊穣の神様として、今日まで永く信仰されてきた神社である。 社頭掲示板 |