古社であり、『山城國式社考』も神明宮説を支持するが、この社が大柴神社である根処は明らかでない。 洛北大原の寂光院の裏山中腹にある。秋祭には湯が献じられる。 ここには宮座があり、当番(旧くは神主と称した)は毎月一日には神酒を供えて祭る。当番は月ぎめで、毎月行はれる引継ぎの儀式は夜暗い中で厳粛に行はれ、箱の授受がある。氏子区域は大原草生町である。 高野川から北西に入る谷間の奥にある。谷の奥に寂光院がありその裏手にある。境内に巨石あり。本殿は2棟、内宮と下宮とある。 |
大柴神社 大柴は於保之波と訓べじ○祭神在所等詳ならず 山城志云、在大原草生村、今称神明宮、」考証云、今在下小野、俗称落葉宮是乎、」連胤按るに、落葉宮は志に葛野郡堕川神社なるよし云り、抑今は洛中なる上立売大宮に柴大宮町といふ小名あり、其邊の町々柴某と皆柴の宇を付たり、名跡志に、元禄5年神樂岡の東に移されし芝薬師も、往昔此辺に在しといへり、中川親成が、彼邊一條より以北なれば、昔は洛外なりし事明らか也、されば彼辺に坐し故、大柴といふにやあらんといへるも一説也、猶考ふべし、 神社覈録 |