『山州名跡志』に永享2年の創祀とある。 線路をはさんで、大神宮社と向かい合う位置にある。 拝殿には、空海作といわれる天女像が安置されているという。 もとは粟穂弁財天と言った。 市原駅の西。道路に接した街中のごく小社。式社表示は無い。 社伝に永享2年(1430)の創祀といい、「村の老人の夢の中にお告げがあった。美女が忽然と枕元に現れ、吾は河上に住む弁財天である。家は西方にあって心は東南に通う。鞍馬寺の毘沙門天との誓約があり、多門天の近隣に居を移し、王城を鎮護したい。ここは福地であり、吾ここに住める。吾を留めるならば福栄する。と言った。老人は目覚めて奇妙だと思い、暁に河に出てみると六寸の白蛇が粟の穂の上に座していた。村中で協議し、先に仮殿に移し、その後、社壇を造った」とある。 |