江文神社
えぶみじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン

















   【延喜式神名帳】伊多太神社 山城国 愛宕郡鎮座

   【現社名】江文神社
   【住所】京都市左京区大原野村町643
       北緯35度6分45秒,東経135度48分49秒
   【祭神】倉稻魂命
   【例祭】5月5日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】江文神社としては創立以来この地にあると思われる。

   【祭祀】伊多太神社の継承社であることは否定されている。

大原郷八カ村の氏神である。もと毘沙門堂江文寺と合祀されていた。
元々は、背後に聳えている江文山(現在の金毘羅山) の頂上の朝日の一番早く登る場所に祀られていた神々を、平安時代の後期に、住人達が山裾の現在地に社殿を創建して鎮座と伝。
5月4日には江文祭、9月1日は八朔祭がおこなわれる。
八朔踊りとは大原に残る伝統芸能で絣の着物に菅笠を被った宮座の青年たちが輪になり道念音頭(楽器を用いない独特の節)で踊る豊作祈願の踊りである。
現在では江文神社説は否定されているが、参考までに江文神社の由緒を記すと、この神社は三千院の守護神(鎭守の社)としで創祀されたといい、また延暦寺座主慈寛大師の勧請によつて創祀されたとも傳えている、山王神道と關係の深い神社である。
三千院が大原の地に移つたのは12世紀中頃であるが、慈覚大師の創祀とすれば延喜年間すでに江文神社は大原の地にあつたことになる。中世には榮えた神社であつたが、信長による比叡山圧迫により、また衰退したという。
集落より離れた山裾に鎮座している。


江文神社 

江文神社は大原八ヶ町の総氏神で古代より背後にそびえる江文山(今の金比羅山)の頂上の朝日の一番早く照るところに御祀りされておりました神々を平安時代の後期に此処に住人達が御殿を創建して御鎮座を願ったのであると古代より言い伝えられております。
御社殿の配置を説明いたしますと、中央の御正殿には倉稲魂神(穀霊神)向かって右の御殿には級長津彦神(風・水神)向かって左の御殿には軻遇突智神(火の神)を御祀りして、古くより豊穣、衣服、生産の神として広く世の人達に崇敬されております

社頭掲示板



江文神社

祭神天三降霊命化、(神祇正宗)○愛宕郡大原郷井出村に在す〇拾芥抄云、三十番神、江文(8日)

神社覈録



山城国INDEXへ        TOPページへ