諏訪社[川合神社境内末社]
すわじんじゃ                  . 所在地ボタン 社名ボタン

















   【延喜式神名帳】須波神社 山城国 愛宕郡鎮座

   【現社名】諏訪社
   【住所】京都府京都市左京区下鴨泉川町59
       北緯35度2分5秒,東経135度46分18秒
   【祭神】建御名方命
   【例祭】11月15日 例祭
   【社格】
   【関係氏族】
   【鎮座地】当初の鎮座地不詳。その後の移転状況も不詳

   【祭祀】継承社であるとの積極的裏付けは乏しい。

賀茂御祖神社境内摂社川合神社境内末社。河合神社の末社である諏訪社は、河合神社本殿前の西側に東面して建つ一間半社 相殿流造の社殿(六社相殿)の一番北最も本社寄りに祀られている。社殿は賓永5年(1704)の造営である。
明治になるまでは鴨縣主一族中より補任された本社の神官が奉祀していた。


河合神社由緒

御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 例祭日 十一月十五日
 式内社。鴨河合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこそやけのじんじゃ)と称するのが古代からの社名である。『日本書紀』に「社戸」、「社宅」=コソベ、とある。本宮に祭祀された神々と同系流の神との意である。延喜元年(901)12月28日官符に、「御祖、別雷両神之苗裔之神」(『年中行事祕抄』)とある神社で、祭神は神武天皇の御母神(本宮の御祭神とは同名異神)。
 古くから本宮に次ぐ大社として歴史に登場し、女性の守護神として信仰されている。
 『方丈記」の著者、鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれたが、いろいろの事情によって、この重職を継ぐことができなかった。このことから強い厭世感を抱くようになり、やがて『方丈記』を書くにいたったといわれている。(復元された方丈が現在展示中)
 末社には任部社(とべしゃ)とよび八咫烏(やたのからす)をまつるお社があり、昭和6年(1931)日本サッカー協会設立時より、現在のJリーグにいたるまで、御祭神の姿をシンボルマークとしている。

ホームページより




重要文化財申請社殿

六社[北方より]
諏訪社  御祭神 建御方神
街社   御祭神 八街昆古神 八街比売神
稲荷社  御祭神 宇迦之御魂神
竃神   御祭神 奥津日子神 奥津比売神
印社   御祭神 霊璽
由木社  御祭神 少彦名神
第八回、建仁元年(1201)12月10日式年遷宮のために描かれたとみられる、「鴨社古図」によると、河合神社の御垣内にそれぞれ別々にまつられていた。江戸時代の式年遷宮のときに各社が一棟となった。
いずれも、衣食住の守護神である

社頭掲示板




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