社名の由来は、阿須波神の須波であるとする説と、諏訪社の諏訪の仮字であるとする説とに分れる。 現在式内の須波神社に比定されその社名を称している賀茂別雷神社末社の諏訪社は、本社と御物忌川を隔て対岸の片岡山の麓、片山御子神社のすぐ南、やや高い場所に鎭座する。 賀茂別雷神社の境内末社であつた諏訪社は、明治10年3月21日内務省より賀茂別雷神社第七摂社と定められ、社名を須波神社と改めた。 |
摂社須波神社 祭神 阿須波神外四柱一座 延喜式内の古社で、本宮の前庭を守護される神。 重要文化財建造物である。 社頭掲示板 |
須波神社 須波は假字也○祭神健御名方命(比保古○考証に、阿須波神と云り、今從はす、)○今別雷社楼門外に在す、(考証」名跡志)諏訪社是歟○別雷社末社也 山城志云、在静原村平松山称静原大明神、云々、其拠を志らず、 神社覈録 |