賀茂御祖神社の北もしくは西に末刀社といふ小祠があつたとする『山城名勝志』。 末刀社の跡に建てられた社ではないかとする愛宕社は現在も賀茂御祖神社の西参道の入口に稻荷社と相殿で残つている。本來の祭神については不明。 古名を贅殿神と言った。古くは賀茂斎院御所大殿の守護神として御所内に祀られていた。文明の乱以後、稲荷神社を相殿としてこの地に祀ったものである。 |
末社 愛宕社(東社) 御祭神 火産霊神 稲荷社(西社) 御祭神 宇迦之御魂神 愛宕社は、古く賀茂斎院御所大殿の守護神として御所内に祀られ、稲荷社は賀茂斎院御所(文明の乱により焼失)並びに忌子女庁屋(文明の乱により焼失)の守護神として庁屋の池庭の中島に祀られていた。 文明の乱以後、この両社を相殿としてこの旧地に祀ったものである。 社頭掲示板 |
末刀神社 末刀は假宇也○祭神詳ならず○下鴨村御祖社の北に在す(名勝志)○御祖社の末也、 山城志云、同上、』比保古云、末刀卜部本作未刀、」此説論なし、採用いず、連胤按るに、末刀は地名也、さるは永久5年12月、諸陵寮牒、山城國衙文書に松崎陵戸云々、末刀前里云々、賀茂社、寛仁2年11月22日太政官符、云々、諸丁陵戸等田云々、任旧跡不敢改易、とみえたれば、元陵戸田は神領に加へざりし事明らけく、永久の文書に、末刀前里の続に、蓼倉里もあれば、必御祖社の四郷の中にぞありけむ、今末刀の名廃れたれば、いかにとも知りがたし、 神社覈録 |