式内社調査報告は「鞍馬の由岐神社(祭神、大貴己命・少彦名命)も、天慶年中の勧請(『諸社根元記』)というから問題は残るが、論社の一つに加へるベきであるかもしれない。」としている。 天慶3年(940)9月9日北方鎮護として鞍馬に遷されたが、遷宮のときに、かがり火をたいてこの地を目指す行列の長さは1kmに及んだと伝わる。これに感激した地域住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝えようと始めたのが、毎年10月に開かれる例祭の「鞍馬の火祭り」である。 |
由岐神社 由岐大明神は御所にお祀りされておりましたが、天慶元年に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に、 当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所の北方にあたる鞍馬に地に天下泰平と万民幸福を祈念し御遷宮されたの であります。御遷宮の時、京の鴨川に生えていた葦で松明を造り道々には篝火を焚き神道具を先頭に行列の長さ10町(1Km)という国家的一大儀式により御勧請されたのであります。鞍馬の住民はこれに感激し、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってき たのが火祭の起源であります。その後豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年には豊臣秀頼によってご本殿と拝殿を再建いたし特にこの拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で桃山時代の代表的建造物でもあり現在は国の重要文化財にも指定されております。 社頭掲示板 |
由岐神社 天慶に入り、都は大地震や平将門の乱(天慶の乱)と相次ぎの災いで世情不安となりました。天下泰平と万民幸福を祈念致し、朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所にお祀りされていた由岐大明神を都の北方にあたる鞍馬に地にお遷しされました。この御遷宮の時、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式により御勧請されました。その行列の長さ10町(1km)にもなったと言われております。この儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え遺し守って きたのが鞍馬の火祭の起源であります。その後豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年に御本殿と拝殿が豊臣秀頼によって再建されました。特に拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で桃山時代の代表的建造物でもあり現在は国の重要文化財に指定されております。 公式HP |
由岐神社 大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る。 天変地異が続く都を鎮めるため、天慶3年(940)、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが当社の始めとされ、天皇の御病気や世上騒擾のとき、社前に靭(ゆぎ)(矢を入れる器具)を奉納して平安を祈ったため靭社の名がつき、後に現在の社名となったとも伝えられている。 重要文化財の拝殿は、慶長12年(1607)、豊臣秀頼によって再建されたもので、中央に通路(石階段)をとって二室に分けた割拝殿という珍しい桃山建築で、前方は鞍馬山の斜面に沿って建てられた舞台造(懸造)となっている。このほか、本殿脇の石造の狛犬一対も重要文化財に指定されている。 京都三大奇祭の一つとして有名な「鞍馬の火祭」は当社の例祭で、毎年10月22日夜に行われる。祭神勧請の際、篝火を焚いてお迎えしたという故事にちなんで、氏子らが大小様々の松明をかついで鞍馬街道から参詣するため、一面火の海となって壮観を極める。 京都市 社頭掲示板 |
由岐神社 御由緒 御祭神 大己貴命 少彦名命 二座 相殿 八所大明神 御鎮座 当杜は王城の北方の鎮めとして、天慶3年(940)9月9日靫大明神(後改め由伎更に改め由岐)と奉祀し大己貴命、少彦名命二座を鎮奉し、古来天皇の御病気や世上騒動の時社殿前に靫をかけて平安を祈った為靫社となづけられた。 御神徳 御祭神は国を治め、人民の生活の道を教えになり、特に医薬の道をお授けになった医薬の祖神であります。 二柱共に、天上神である皇孫に国土の統治権を献上された、国譲りの大業をなしとげられたところから、事業の守護神と仰ぎ、苦境に至つたとき、勇気と進取の神助を授け給い、また国土経営の神であるところから、会社経営の隆昌を祈念し、衣、食、住の守護、諸災解除、病気平癒、商売繁盛、家内安全、厄除開運、交通安全、家業隆昌、無病息災、旅行安全、学業上達、縁談成就、安産の神として、持に火の神として御神徳は広大無辺、事物の根元を明らかにし、清、明、正、誠心のもとに、祈念すれば霊験神助を授かる信仰は昔も今も同じであります。 御神階 後陽成天皇の天正17年正一位の宣下 末社 三宝荒神社 岩上社 白長弁財天社 冠者杜 願かけ杉 八幡宮社 石寄大明神社 文化財 拝殿 豊臣秀頼再建 慶長15年(1610)重要文化財 狛犬 一対 重要文化財 例祭 10月22日(火祭) 由岐神社 社頭掲示板 |
由岐神社 由岐神社 ゆきじんじや 京都市左京区鞍馬本町。 社伝によれ.ば天慶3年(940)に大己貴命・少彦名命を勧請したといい、有名な「鞍馬の火祭」はその時に炬火をもって神々を奉迎したことから起ったとする。社号は往古、天子不予・世上騒擾の際に、靱を献じて平穏を祈ったことにより「靱明神」「山木神社」ともする。拝殿(荷拝殿)は慶長15年(1610)の建築で桁間六間・二間・一重・入母屋造・檜皮葺の割拝殿で重文指定。「火祭り」は10月22、23日(もと9月8、9日)に行われ、地元の「七仲間」(座)が奉仕する。夕刻、沿道の所々に積みけだ上げたほだ木(篝)に点火し、子供らは小松明を担って練り歩き、夜ふけて青年たちが大松明をかついで行き交う。山門前の精進竹の注連縄を切って山へ登り拝殿では「かけぬき」ということがあって「サイレヤ」「サイリヨー」の勇壮な掛け声とともに神輿二基(靱明神・八所明神=客神という)が降る。山門前でこれに剣鉾が加わりお旅所に到着。献饌・神楽などがあり、同所庭上で大松明に点火(神楽松明という)して七度半持ちめぐり、くり返す。大松明は20数本の割竹を末広形に作ったもので、還御の際に山門前にて焼け残りの松明をあつめ再点火する(名残の神楽という)。その他、祭事に参加する者の特異な名称・所作・しきたりが数多くあり、伝統の火祭りである。昼は時代祭、夜は「鞍馬」へと参詣者が多い。石造狛犬一対(重文)。 神社辞典 |