上御霊神社から西へすぐの所に、旧村社の猿田彦神社がある。猿田彦神社といえば伊勢神宮の近くにあるものが有名である、ここも歴史の古さでは負けてはいない。 社伝によると、桓武天皇はここの神の御託宣により平安京への遷都を決定したと伝えられ、その平安京遷都後の延暦13年には勅願により社殿を造営し、所領を寄進されたという事が記録に残されている。 また、皇居造営にあたっては、この社の土でもって地鎮の神事が執り行われていた。 上御霊神社の門前にあり。人家に埋もれた小社。 社頭説明に「出雲高野神社」の記載なし。 かつては広大な境内で,将軍家より神事料として小山郷柏木田が寄進されていた。応仁の乱以後も度々火災に遭い,現在の地に移されたのは寛政5年(1793)のことである。 |
由緒 創建年代未詳であるが往古より現今の地に御鎮座あり。桓武天皇当社の託宣により平安遷都せられたと伝へられる。又延暦13年勅願により社殿御造営、神領(山城國高野村)を定められた事社記に見え尚「御代々之聖主御崇敬異于他就中皇居御造替之砌者以地鎮行事令祭土公神給依之良賤舎屋亦准之」とありて歴代の御崇敬特に篤く、永徳3年造替の節には将軍職より小山郷柏木田を神領として寄進され御遷座祭には将軍義満社参、奉幣御神楽奉納ありて當時の社殿は本殿始め幣殿、祝詞舎、拝殿、神楽殿、神供所等あり境内至四方四町と記され境内には伊勢二所皇大神宮(南向)二柱社、日隅社、若宮社、氏神社、稲荷社(稲荷社は文安年中近衛殿の御勧請)等が配祀され其の規模実に宏壮であったが應仁の兵乱により社頭残らず灰燼に帰し、其の後復旧されたが天正年中、度々の兵火により復興の暇なく宝永7年上御霊神楽司岡本内記座敷内に祀り寛政5年に至りて現今の社殿に奉祀せり 新築の本殿は昭和60年10月竣工せしものなり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |