参道の左手にあり、菅原道真の母を祀るという。 道真の母は伴氏で、道真の教育に努め、賢母の誉れが高い。また歌人でもある。 社前の石鳥居は柱が蓮台にのる珍しいもので、鎌倉時代のもの。東向観音の五輪石塔は、元来この場所にあったものである。 明かに伴氏の社たるには相違ないが、承和元年(834)朝廷から地を賜わつて氏の神を紀つたという式内伴氏神社ではないとおもわれる。 ただし、社頭の石鳥居は鎌倉時代のものであり、それ以前からこの地に鎮座していたと思われる。 |
末社 伴氏社 御祭神 菅原道真公の母君 御神徳 子どもの成長と学業成就を守護 例祭日 1月14日 菅原道真公の母君が大伴氏の出身であることより伴氏社と称するかっては、石造りの五輪塔が置かれていたが明治維新の神仏分離政策により、当社南隣の東向観音寺に移された。 暖かい愛情と厳しいまなざしをもって菅公を優秀な青年官吏に育て上げられた母君を祀るこの神社は、わが子の健やかな成長と大成を願うお母様方の篤い信仰を集めている。 神前の石鳥居は鎌倉時代の作で、国の重要美術品に指定されており、台座に刻まれた珍しい蓮弁により有名である。 社頭掲示板 |
奉祝 天皇陛下御即位 「令和」ゆかりの大伴氏の祖廟末社伴氏社 御祭神 菅原道真公(菅公)と大伴氏の御縁 かつて伴氏社には「忌明の塔」と呼ばれる五輪の石塔があったが、明治維新の神仏分離政策により、現在は伴氏社西側に鎮座する東向観音寺の境内に拶された。また御社殿前に建つ石烏居は、柱台石が蓮弁形で珍しく、鎌倉時代の遺構として国の重要美術品に指定されている。 菅公の母君は大伴氏の出身であり、古来北野付近は大伴氏の所領と伝わるなど、菅公と大伴氏の御縁は深く、伴氏社は代々大伴氏を弔う祖廟として強く意識され崇められてきた。 万葉集に深く関わられた菅公 菅公は、上代より受け継がれた我国特有の概念を「和魂漢才」という思想で顕し、障害を賭して実践された。当代随一の文化人と謳われた菅公。その稀有なる才知と教養を以て、寛平年間に『新撰万葉集』(別名『菅家万葉集』とも言う)を撰じられた御緑も興昧深い。 その他当宮には、万葉集関連書籍として『万葉集講録』『万葉選要鈔』なども所蔵している。 梅は新しい文化の象徴 菅公と梅花の御縁 万葉集を始めとする古の日木文学には、梅花を主題とした歌が数多く詠まれている、上代には、梅を愛でるという趣が新しい文化の象徴として定着し、人々に大変好まれた。平安朝きっての文化人菅公もまた、梅をこよなく愛された一人であられたことは、世間の遍く知するところである。当宮には菅公の御遺徳を偲び、ゆかりの梅が千五百本植えられ、2月から3月にかけて、境内一円に咲き誇る。 【宝物殿公開中】新元号「令和」の典拠となった万葉集(宝永本)現在公開中 (令和元年)社頭掲示板 |