京都市内ではあるが北山杉の山林の谷間にある神社。 川の北岸川原にある。境内は北山杉の木立に囲まれ、鎮守の森をなしている。 「元式内社堕川御上神」と書かれた石標がある。 堕川御上神社は大森賀茂神社とも境内の小祠とも云う 明治維新迄は御簾提灯は御所より新調御寄進あったと伝える。 清瀧川の最上流京都より丹波道へ通ずる旧街道筋河内が旧社地という。 出水の都度神社の被害大きいので他に社地を求めて大森林地の現在地に遷宮した。このとき賀茂明神をも勧請合祀したという。 |
大森賀茂神社 御祭神として弥都渡能売神、瀬織津比盗_、賀茂皇大神の三柱を祀る。 摂社には、闇淤加美神の貴船神社、惟喬親王の惟喬神社の二社を祀る。 当神社の創建年代は不詳乍ら平安時代前期には既に祀られており、元の堕川御上神社は延喜式内社であったといわれ、清滝川と西野川の合流地点、落合付近(現在の境内の東方、薬師峠の麓付近)に祀られていたことに因むといわれている。 貞観17年(875)に賀茂皇大神の合祀と共に現在地へ遷座され、寛仁2年(1018)には大森賀茂神社と改称された。 この大森の里は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれた、又、文徳天皇第一皇子惟喬親王の閑居の地であり、例祭である10月第二日曜日の秋祭は惟喬神社で斎行される。 また、1月2日には歳旦祭が行われる。 京都市 社頭掲示板 |