新丸太通にある広沢郵便局の向かいの歩道に細い参道があり、入り口に小さな石標があるがわかりにくい。 境内地も狭く小さな祠が一宇のみある。 創建不詳。阿刀氏が平安遷都にあたり、河内渋川より遷座という。阿刀氏は物部氏の支族である。 小さな流れの有栖川の傍らにあり、谷川の神が祭られるには、ふさわしい立地條件を備えている。社名は阿(畔)刀(格助詞)で田の神とすベきであろうか。いづれにしても阿刀神社の祭神は、その社名から水神=農業神と考え得る可能性が強い。 河内国渋川郡の式内社の跡部神社は阿刀氏の発祥地で阿刀神社の元社とされる。 |
阿刀神社 式内阿刀神社は阿刀家の祖霊社である。 阿刀家は、かつてここで鎮魂伝を相承していた。また、阿刀家はここで嵯峨天皇の御作と言う天照大神のお木像をおまつりしていた。 昔は、この社から東の方を嵯峨野と言った。後水尾天皇はここにあった燈象菴におこしのとき、阿刀栄元に 虫の音も長き夜飽かぬ故郷に 楢思ひ添う松風ぞ吹く との御色紙を下さった。 阿刀家は弘法大師の生母の里方である。 弘法大師は、三教指帰の初稿をここで書いたと言われている。 阿刀家は弘仁14年正月真言宗の執行職として東寺に移ったが、嵯峨との交渉には変わりはなかった。角倉了以の家も清原国賢の家も阿刀家と親族であった。この両家の関係は、近世嵯峨文化の基源を成したと言われている。右京区嵯峨広沢南野町 http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=342 |
阿刀神社 阿刀は假字也○祭神阿刀宿根祖神歟〇池浦村に在す、今本宮と称す、(山城志)○姓氏録(山城國神別)阿刀宿禰、饒速日命孫味饒田命之後也、 水島永政云、此地に本宮新宮森二所あり、共に小社残れり。又此南方に安堵橋といふあり、安堵は阿刀を訛たるなるべしと云へるは然るべし、阿刀の地名今廃れたり、 神位 三代実録、貞観8年閏3月3日、授山城國正六位上阿刀神從五位下、 神社覈録 |