小倉神社
おぐらじんじゃ


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【宮座】

かつて宮座が形成され、円明寺などを右座(宮本)、友(鞆)岡などを左座(旧宮本)と呼んだ。各座より1基の神輿を出していた。宮年寄が3人ずつ選ばれ、一老、二老、三老と呼ばれた。宮年寄は両座で六人衆を構成し、祭事などを主宰していた。


【古墳】

背後の竹林の中に鳥居前古墳がある。4世紀末の前方後円墳で、被葬者は小泉川流域を支配したとみられ、その後神格化され、当社との関連があるともいう。
もともと古墳で行われていた祭祀がそのまま神社へと発展したとも考えられる。


【郷社 小倉神社】

本社は養老年間の創建なり、醍醐天皇深く崇敬し給ひ、神階正一位に進められたりといふ、神祇志料に「今簗崎の北円明寺村字小倉山にあり小倉明神と云(擁州府志、山城名勝志、神明帳考証、山城志)とあり、正一位小倉大明神と號し、圓明寺村の氏神たり、神社覈録には「祭神闇おかみ神となせど今の祭神と異るは如何にぞや、醍醐天皇延喜の制大社に列り、月次新嘗祈年案上の幣に預る(延喜式)其の後山崎合戦起るや、兵焚に罹り旧記悉く焼失し、今其の詳細は知るに由なし、都名所図会に、小倉のやしろは圓明寺の里、往還より十余町西の山林にあり、本殿は正一位小倉大明神、例祭は4月5日にして、此ほとりの産渉とし、毎歳4月2日に猿樂ありと記し、近隣七ケ村相共に祭祀に預るといふ、明治6年8月村社に列し、後10年6月式内社と決定し尋いで16年4月郷社に昇格す、社殿は、本殿、拝澱、前拝殿、舞台、樂屋等ありて、境内坪数6951坪(官有地第一種)を有す。

明治神社志料




小倉神社 大月次新嘗

小倉は哀具良と訓べし○祭神闇おかみ神(社記)○円明寺村に在す、(山城志)例祭4月5日、

神社覈録



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