当初は、現在地の西方(大枝沓掛町、大枝神社)にあり。その後、児子(兒子)神社は現在地(大枝塚原町)に移される。 「乙訓郡茨田神社」に比定されるが、詳細は不明。この地、大枝(おおえ)がかつて宇波田(うわた)と呼ばれたため、茨田と関連付けられたともいう。 |
児子神社 塚原宮田にあり、祭神は児子大国御魂神を祀る。聖徳太子の幼児の像が祀られてあるので児子神社と呼ばれていると云われている。 寛文11年に祭祀境内地七反五畝十歩、境内に四社の末社があり、一説には茨田神社(うわたじんじゃ)址であるとも云われているが、大枝の地が宇波多と云われているところからきたものと思われる。 茨田神社とは河川の工事に功績のあった、茨田氏を奉祀した神社で、延喜式神名帖にかかげる【乙邦群茨田神社】で、其の所在があきらかでないところからのものであろう。 明治6年、村社に公定される。 社頭掲示板 |