菱妻神社の氏子総代を務める植松迪夫氏の著作『鎮守の森と築山村の面影』によると、明治13年「乙訓郡社地調べ」に築山村若宮ノ本に走田神社反別壱畝廿二歩とある。 また明治初期の「地籍図」にも神社地が官地と明記されておりこの地で祭祀が継承されてきたものと思われる。 この地は旧神主片岡家の墓地の南西角のあたりで現在は住宅が建っている。写真奥の住宅のあたりと思われる。 現在はこの地で特別の祭祀は行われていない。 延喜式内社走田~社、簀原~社、茨田~社を菱妻神社に「合祀されている」あるいは「境内末社」とする説があるが、菱妻神社の氏子総代を務める植松迪夫氏によるとそれぞれの旧跡地で現在も一定の祭祀が継承されている。 |