彌美神社
みみじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】彌美神社 若狭国 三方郡鎮座
          (旧地)彌美神社【旧地】

   【現社名】彌美神社
   【住所】福井県三方郡美浜町宮代 7
       北緯35度35分39秒、東経135度57分41秒
   【祭神】室比古王 建御雷神 天兒屋根命 布都主神 比淘蜷_ 大山祇命
   【例祭】5月1日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】大宝2年(702)創立
       嘉禄2年(1226)再興し、二十八所大明神と改称
       正保2年(1645)酒井忠勝造営
       明治2年彌美神社と復称
       明治4年郷社
       大正14年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは西方500mの「逢の木」に鎮座
        嘉禄年間今の社地に移

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「二十八所大明神」と称していた
   【公式HP】 彌美神社
   【参考資料】 仕掛けとしての演劇空間 弥美神社の祭礼と芸能
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】
   【別当】園林寺

古事記に見える「若狭之耳別」一族が、耳川下流に開けた「彌美郷」に居住し、「彌美神社」を祭った。
その後「彌美神社」は衰微し地主権現という小社になっていた。嘉禄年間に二十六柱の神々を合祀して再興して今の社地に移し、二十八所の神と称した。
かつて弥美神社は東山の入ロに当たる小字・逢の木にあったとされる。そこには、今ではなくなってしまったが、一本の老松があり、祭礼になると西は倉見から東は山東に至るまでの人々が、先ずここに集ってから参詣したと言う。逢の木と称するのは、そのためであった。しかし民俗学の成果によれば、アイは饗であり、逢の木は饗の神(田の神)の祭場であったとも考えられる。


弥美神社

式内にして若狭神階記に正五位耳明神とあり社号を嘉禄2年以降二十八所宮と称す。明治2年小浜藩庁より弥美神社と復称することを許され、明治4年郷社に列せられ、明治5年敦賀県庁より再び郷社に列せられる。明治41年4月26日福井県より勅令による神餞幣帛料供進神社に指定され、大正14年1月8日県社に列せられ、同年1月21日再び神餞幣帛料供進神社に指定される。
第9代開化天皇の御孫に坐し室毘古王と称え奉るこの神は、第10代崇神天皇の御代に多くの皇族を国中に遣わし各地に留められて御治めになった時に、室毘古王は三方郷を治められることになり田耳村に御駐まりになってこの地の人民に御教になりましたので、そのお陰によって吾々の祖先は何不自由なく安楽に暮らすことができるようになったのです。その御恩を忘れぬために吾々の祖先は大宝2年(702)御宮を建て、以来の領家、公文預所、下司、守護、総遣捕使、国守等の寄進田、山林の禁令及び祈願の文等武家の崇敬篤く、特に正保2年酒井忠勝公御祈願あって神殿を補修され、又京極忠高領国の時も多くの山林(山林600余町歩、田地2町余)を寄進され、酒井忠直公、酒井忠国公も旧例により崇敬篤く御祀りしたのです。
このように此の土地の為に御尽し下さった神様でありますから、吾々も祖先同様又それ以上に御祀りしなければなりません。
祈年祭3月14日 例祭5月1日 新嘗祭11月25日 
境内1560坪 氏子750戸 山林290町歩 宅地255坪

社頭掲示板



弥美神社例祭

『弥美神社例祭』   弥美神社の例祭で行われる「王の舞」は、古い舞楽の中にあった竜王の舞の竜がいつの間にか脱落して「王の舞」になったといわれています。
  舞手一人(未婚の男性)、太鼓方一人、笛方六人で構成されています。
  舞手は虹の衣に天狗の面、鳳凰の冠を付けて、白足袋はだしで刀と扇を差し、鉾を振りながら舞踊ります。
  優雅で美しいその舞は、古い舞楽の調べとともに詩情あふれる神事です。

http://www.mihama.or.jp/maturi/oumai.html



弥美神社

由緒沿革
第十代崇神天皇の御氏に王化に従わざる人民教導のため、多くの皇族を国中に遣わし御治めになった時、室毘古王は三方郡一帯を治められ、現在の美浜町旧耳村に駐まられ、多くの臣下を郡内各地に遣わしこの地の人民に御教になられた、それ以来、人心豊かになり、この地が豊に栄えることができた。この御恩を忘れぬため大宝2年(702)神山体として信仰されていた御嶽山の麓に社殿を造営し、末永く崇敬した。
「延喜式」に列し、又歴代の領家。公文預所・下司・守護・総追捕使。国主等の山林田野の寄進並びに山林の禁今及び祈願の文等武家の崇敬篤く、特に正保2年(1645)酒井忠勝公御祈願のため神殿を補修され、又京極忠高領国の時も多くの山林田野を寄進され、以来、酒井忠直公、酒井忠国公も旧例により崇散篤く御祀りされた。
社号を嘉禄2年(1226)以降二十八所宮と称したが明治2年彌美神社と復称することを許され大正14年県社に列せられ、同年神饌幣帛料供進神社に指定された。戦前までは三方郡内を始め敦賀市に及ぶ地域に多くの崇敬者があった。
現在は、河原市・和田・木野・佐柿・坂尻・麻生・中寺・宮代・小三ヶ・新庄・野口・佐野上野・興道寺・南市・雲谷・栄の十七地区の総氏神として崇敬されている。
御神徳
室毘古王は第十代崇神天皇の御代にこの地をお治めになり、荒れ果てた土地を開拓し人々をお導きになられ、この地の発展に尽力された神様である。このため「開きの神。導きの神」として御神徳があり、特に開運招福、厄除け、交通安全、土地開発などの神として信仰されている.また、この地を治められた時に、いち早く母親を呼び寄せ共にお暮しになられたと伝えられ、「孝行の神」として御神徳もあり、家内安全、親子円満、初宮・七五三・十三詣など親子をつなぐ人生儀礼の神様として信仰されている。
鎌倉時代以降は、伊勢・北野・春日・丹生・平野・松尾・賀茂・稲荷・大原野・石上・大和・広瀬。龍田・住吉・梅宮・吉田・廣田・祇園・気比・熊野・金峯・白山・熱田・石清水・日吉上下宮。十禅師・三輸の二十八の神社の神様をお迎えしたことから、二十八所宮(にじゅうはっしょぐう)、二十八所大明神(にじゅうはっだいみょうじん)と呼ばれ、当社に参拝すれば総ての神社の御神徳を戴けるとされており、すべての願いが叶う諸願成就の神様としても信仰されている。
御神木
三又(さんさ)の杉と呼ばれており、樹齢七百年以上と伝えられ、長寿の象徴として信仰されている。

公式HP



弥美神社

 『神社明細帳』に「由緒創立不詳、式内にして、又若狭国神階記に正五位耳明神とあり、社号 嘉禄2年(1226)以降二十八所宮ト称せし所、明治2年小濱藩廳より弥美神社ト復称せらる。同5年に郷社に列せらる。明治41年4月26日神饌幣帛供進神社に指定。大正14年1月8日に県社に列せられ、同年1月21日神饌幣帛供進の神社に指定済」と記している。
 御祭神の室毘古王は、第九代開化天皇の皇子の日子坐王と沙本之闇見戸売との王で、若狭之耳の祖なりと古事記にみえ、亦、『神社私考』に「古この耳地を領れる耳別の氏人ありて、室毘古を祖神として祀れるにやあらむ」と延べている。
 二十八所宮について、『弥美神社記』に「文武天皇の御宇大宝2年(702)壬寅春、日月両輪を始め奉り、天照大神国家守護の霊社二十八所の名影を、白幡に秘して耳の川辺帯て、深山の空地に天降らせ給い(中略)御敷地を宮代村と名付け候なり。伊勢大神宮、八幡、春日、丹生、平野、松尾、加茂、稲荷、大原、石上、大和、住吉、龍田、広瀬、梅宮、吉田、広田、祇園、天満、気比、熊野、金峯、白山、熱田、十禅師、上下、日吉、三輪大明神」と二十八所の神名が挙げられてある。由緒について、『神社私考』は、「(前略)いにしへ弥美神社、此処に在て衰へ給ひたりしを嘉禄(1225〜27)に再興して今の社地に移し奉りて二十八所の神と称し、其旧趾にも小社を建て、地主の神と称へるなるべし」と推定している。弥美神社は、耳庄の総鎮守で、古くから領家、国主等の崇敬が篤く、社殿の改築補修、社領の寄進などがあった。例祭には、王ノ舞、獅子舞、浦安舞、乙女舞、ヨボの木の御幣などが奉納される。
 「ミミ」の呼称とその意味の存する古称について、『福井県史(通史編1)』に、藤原京(649〜710)跡出土木簡に「三方評耳五十戸」「三方評耳里」「美々里」と記したものがある。この「耳里」(耳五十戸・美々里)の里名は、平城宮(710−784)跡出土木簡に「若狭国三方郡耳郷中村里」や「三方郡弥美郷中村里」とかみえるように律令制下の郷里制においても郷名としてひきつづき認められていた。現在の美浜町耳川流域一帯に比定され、耳川東岸には式内社の弥美神社があり、北陸道の弥美駅も、この付近と考えられている。律令制下の郷名としては、ミミというのは若狭のものが全国唯一である。
 神代巻の神名に忍穂耳尊・手研耳・神八井耳尊。第二代綏靖天皇の諡号神渟名川耳尊。また、王族の坂田耳子郎・豊聰耳皇子などに用いられているが、上蜘蛛大耳や耳垂・和泉陶津耳・但馬の前津耳・但馬の大耳・莵狭の耳垂などにみられるように、「耳」は姓の制より古くから人名や地名に付し、その他の豪族への敬称であったとされた。即ち、これらの地は、元来「ミカタのミミ」が居たところで、遠敷郡に式内社の若狭比古神社の祭神「比古」に劣らぬ古称で、耳川や弥美神社の呼び名も、その他名から生じたものとみられる。
 若狭は、ヤマト朝廷の「御食国」として早くから聖塩を貢上しただけに、その首長と配下の民衆には特別の配慮をしたものと思われる。と述べている。

福井県神社庁



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