谷間に鎮座する神社。本来は長い参道あるも線路、道路で寸断されている。 |
木野神社 この木野に鎮座する木野神社は,『延喜式』神名帳に登場する木野神社に比定されており,祭神を天日方奇方命とする。おそらくは古くから付近の信仰を集めていたものと察せられる。享保10年(1725)に書写された『若狭国神名帳』によれぽ「正五位木野明神」,『神社私考』によれば「二宮大明神」「二王ノ宮」とも称されているが,くわしくは不明であるとしなけれぽならない。元禄年間に記された『若狭郡県志』巻4にはいくらかていねいな記述がのるが,それでも二宮明神社として「在木野村,祭日吉二宮神乎,未詳之,四月朔日有祭,延喜式所謂若狭国三方郡木野神社是乎,又若狭神階記三方郡正五位木野明神,云々」と説明するにすぎないのである。 どうやらこのさき木野神社にかんする消息をたどるのは至難のわざであるように思われたが,参道わきには木野神社古墳がひっそりとたたずんでいる。また口碑によれぽ,木野神社は弥美神社の親にあたっており,弥美神社よりも社格が高いという。しかもそのために,木野は弥美神社の氏子集落でありながら弥美神社の祭礼には参加せず,独自に木野神社の祭礼を行なっているというのである。いずれも木野神社にまつわる記憶がいかに古いものであったのか,その消息をわずかなりとも知らせていたのかもしれない。 とりわけここにあげた口碑は,本稿の関心を深めようとするさいにも,きわめて有効な手がかりになるのではないだろうか。じっさい,木野神社にまつわる伝承はしばしば祭礼にそくしており,弥美神社の祭礼とのかかわりにも注目すべきところが少なくないのである。 異化する視線 木野神社の祭礼をめぐって 橋 本 裕 之 |