鎮座地一帯は粘土に富み、『福井県史蹟調査書』によると古代製陶所遺跡も多くある。 奈良−平安中期頃の須恵器窯跡もあるところから、末野という地名には陶との関連も考えられる。 地図にも恵比須大神社とあり、通称「恵比須様」と云われている。 |
須部神社 当 式内 須部神社は御祭神により 恵比須神社(えびすさん) また 西の神さん と称されております。 須部神社の創祀は、養老2年(718年)9月28日 恵比須大神が末野の地に顕れ、翌養老3年(719年)3月23日 社殿を建て祀ったと伝えられております。 書物に伝えられる由緒・伝説等 各誌より、当神社に関する記述をここに紹介致します。古い書物より転載しているものもあり、現代と漢字かな使いが異なる場合もございますがそのまま記載しております。 (養老年間当神社縁起書) 元正帝養老2年甲子9月28日蛭子之神を祝い祀り養老3年3月23日社殿を祭る。 (延宝年間若狭県誌) 西神社末野村にあり、陶の字をいつの頃か末野と書す。祭神は蛭子と伝えられ恵比須を祭る。養老2年9月28日神霊末野村の南面神ヶ谷の桜樹の下に顕われ、同3年3月23日社を建て正保2年酒井忠勝公祈願により鳥居を建立せられる。 (寛延2年若狭国志) 西神祠末野村に在り須恵野村とも記す。社記に曰う養老2年9月28日垂跡、3年乙丑3月23日祠を垂跡の地に建つ。祭神は蛭子、一説に恵美須として民間蛭子を以て恵比須と誤って同神と為す故に分明ならず。又祠の側に小祠有り。瘡神と称え大己貴命を祭る。創建同じ。社家蔵に養老3年乙丑9月書す処の社事記一軸巻末に政所公文等の姓名押を叙書す。正保2年我少将忠勝公華表を建つ。以て此祠の来由を愚接するに之を考れば則ち式内(醍醐帝延喜式神名帳)に当載さる所にして今拠所無し。此の村今三方郡に隣れる或は須部神社か。 (寛文7年若州社寺由緒記) 西神社 二間四面 養老2甲子9月28日神ヶ谷桜の木の本に宝鏡戸張千早此三種忽然と有之。その時風神荒し故木動揺して不思議多く。貴賤男女打寄り彼の三種の神威を拝し、奇異の思いを為しけるが中に、一人の婦人俄かに狂乱して樹下に走り寄託宣して曰く我は是れ西の宮の恵比須三郎也。この地に社殿を建立すべし。此の婦人則ち当たるべしと託し給ふ。之に依り養老3年乙丑3月23日本社拝殿等建立し春秋の祭礼3月23日9月28日之を祭る。其れ以後春秋共に近郷越前などより夥しく参詣有之候。 公式HP |