このあたりは古代に「ワニベノ里」と呼ぱれ、「ワニベ氏」が住んで、「ワニベ神社」を祭つていた。 普光山青蓮寺の西側に位置する。 |
日吉神社 當地ノ産土神ヲ和爾部神ト云。齊神ハ和爾部ノ祖ヲ祀ル。慶雲元年4月14日創建ナリ。宇多天皇寛平元年、近江國坂本山王宮ノ御分難ヲ合祀ス。之レヨリ山王大権現ト崇號ス。當寺 青蓮寺 ニテ社務ヲ司ル。 道勝案スルニ、和爾部神社ハ延喜式二有リ。正保2年、酒井若狭守忠勝公御祈願ノ事アリテ、社殿ヲ御造営アリ。 普光山記残片 |
普光山青蓮寺 『普光山記』によれば、三方郡最古の古刹で、その由緒は霊亀2年(716)丙辰5月の創立で、開山は勅賜禅師神融泰澄大師といい、大師自作の不動明王の木像があったとある。その後、貞観18年(87)山城国嵯峨野大覚寺草創ののち、末寺となったとある。 また、寺の西には日吉神社がある。当地産土神を和爾部神といい、祭神は和爾部の祖を祀る。慶雲元年(704)4月14日創建といい、宇多天皇が寛平元年(889)に近江国坂本山王宮の御分霊を合祀し、以降は山王大権現と称して、当寺が社務を司ったという。 元の青蓮寺は、国吉山麓の「青蓮寺谷」と称する谷間にあったが、寛永12年(1635)に小浜藩主酒井忠勝が佐柿町奉行所(御茶屋屋敷)を建築する折に、現在地へ移転した。 国吉城主粟屋勝久は、織田信長に加勢して越前国一乗谷の朝倉氏を攻めた時に持ち帰った「五百体愛染明王図(伝弘法大師)」と青磁浮牡丹皿を寄進しており、この他に、平安時代から鎌倉時代にかけて創作された涅槃図、不動明王図、聖観音図などの仏画や、聖観音立像(国重要文化財)が伝わっている。また、境内の北隅に聳え立つ大銀杏(町天然記念物)は、小浜藩二代酒井忠直の手植と伝えられている。 美浜町教育委員会 社頭掲示板 |