佐伎治神社
さきちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐伎治神社 若狭国 大飯郡鎮座

   【現社名】佐伎治神社
   【住所】福井県大飯郡高浜町宮崎字宮内 59-4
       北緯35度29分2秒、東経135度33分7秒
   【祭神】素盞嗚尊 稻田姫命 大己貴命
   【例祭】10月12日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】景行天皇の時磐鹿六雁命以前の草創
       永禄6年3月16日宮御建
       承応2年(1653)造営
       安永6年(1777)造営
       天保14年(1843)佐伎治社と改称
       明治8年4月県社
       同41年4月神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初東北へ1.5Kmの薗部の森に鎮座
        高濱村八穴山の牛頭天王社(現境内社廣峯神社)の傍に奉遷
        戦国時代砕導山城の裾の現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「砕導(さいち)大明神社」と称していた
   【社殿】本殿檜皮葺流造
       拝殿・神樂殿・神饌所・神庫・御舟舎・手水舎・社務所

   【境内社】
   【別当】龍蔵院(真言)

當社はもと現社地から東北へ1.5Kmほど距つた薗部の森に祀られていた小祠である。この神祠を高濱村八穴山の牛頭天王社(現境内社廣峯神社)の傍に奉遷。戦国時代逸見昌維穴山築城(高浜城)に際し、砕導山城の裾の現在地に再び遷祀


佐伎治神社

当社概誌
神社名 佐伎治神社
祭神 素盞鳴命 大己貴命 稲田姫命
由緒
延喜式神名帳大飯郡小七坐の一若狭国神階帳従三位碎導明神
中世社記消失のため創建年代其他不詳なれども考証によれば、景行天皇皇子磐鹿廬命に若狭国を授け賜ひし時既に当社在りしものの如く今より1800年以前の創建と推定世せらる。
長元年中神殿改造永禄年中高浜の領主二条某社領田七町七反歩寄進当時社運隆盛なりき往昔は或は薗部村なる深田の中園池林という処に在りしとも言い或いは現今の城山の地に在りしとも言う。而して同3年中当国々武田逸見駿河守昌経現在の地に遷し祀れりと云う。其後木下宮内少輔利房高浜の領主となるに及び大いに崇敬して造営後堀尾茂助吉晴造営の志ありしも未だ破損なかりしため鐘楼を建立せりという。
元和3年卜部兼英の文に正一位碎導大明神の行名見ゆれど進階の年代不詳なり、正一位碎導大明神の鳥居扁額及正保3年酒井讃岐守忠勝造営の棟札及び安永6年の造営に際し酒井修理大夫忠治白銀一枚寄進の棟札存す。中世神仏混合の思想より社域に龍蔵院(真言)を建立社僧及び別に社人と称する者を以ちて奉仕し来りしが明治の新政となるに及び寺院を廃し新たに神職を任命
明治8年4月県社に列格同41年4月神饌幣帛供進神社に指定せらる。
神紋 橘
祈年祭 3月17日
大祭日 例祭 10月12日・13日
新嘗祭 11月23日
式年神幸祭 (七年祭)
特殊祭儀 巳年亥年の六月卯の日より酉の日まで
請雨祭 非常の大旱に行う
鳥居洗式 二十五年毎
氏子区域 現高浜町高浜地区
宝物 別に誌す

社頭掲示板



由緒書

一位砕導大明神 本來者、薗部村園池の森と申処、水深き田の中、小さき社有之、氏子共社参悪敷故、庄屋百姓共寄合、高濱村八穴山に牛頭天王の社御座候、其脇に社を建て鎭守に用、氏子共皆々社参仕候、其後逸見駿河守殿、城取立被成候時分、砕導山へ天正年中に御引に成り、山林竹木干今伐不被成候、次木下宮内殿御健立に御座候、其後堀尾茂助殿御建立可被成処、社破損なき故、鐘楼斗り御立に成候、古ハ二條殿より社領田七町七反御附候へ共、秀吉公御代にて召上、其後從公儀御構も無之候故、氏子共寄合修覆仕候、大猷院様御不例に付、爲御祈祷讃岐守様御立願有之、拝殿御立被遊候、本地は阿彌陀、砕導大明神、上下大明神の御弟宮と、御縁起に御座候、以上延宝三乙卯年

由緒書上扣



佐伎治神社

妙見さんの愛称地元の人々から親しまれ、七年祭りの神社として有名です。延喜式神名帳に名が記されている古社で、素戔嗚尊・稲田姫命、大己貴命を祀っています。七年祭りは巳年と亥年に行われる臨時祭礼で、町は7日間の間七年祭り一色になります。白装束の男衆が御輿を担いで町内を練り歩き、太刀振り、お田植、神楽、曳山などの芸能が繰り広げられる若狭地方最大の祭りです。県の無形民俗文化財にも指定されています。

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和鐘(雨乞鐘)

昭和31年3月12日 福井県指定有形文化財に指定。
高さ93.0cm、口径51.0cm
上帯に飛雲文を配し、池の間四面には舟型光背の中に不動明王と思われる仏身が陽鋳されている。銘文はないが、竜頭などの様式から平安時代末期から鎌倉時代初期の作と推定される。
延元元年(1336)8月に現在の中寄の海岸に漂着したと伝えられ、村人が発見し神社に奉納した。旱魃の時にこの鐘を海に入れると雨が降ると伝えられ、別名「雨乞鐘」ともいわれている。

社頭掲示板



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