「カグヤマ」は神の依り憑く山の意の普通名詞である。神社背後の山もカグヤマ(加来山=高森山 340m)という。 創祀の年紀・由緒は明らかではない。社伝によれば、若犬養宿禰(新撰姓氏録に「火明命十五世孫古利命之後也」)の氏人が天香山命を始祖(氏神)として加来山に創祀という。 |
香山神社 延喜式内若狭国正五位 香山神社(通称高森乃宮) 福井県大野郡高浜町7の1 高森(香具)山鎮座 祭礼 古儀祭 春の宮当祭 3月13日、秋の同祭 10月8日 例大祭 春季4月23日、秋季10月28日 祭神 天香山命(開拓の祖神) 猿田彦命(道びきの神) 蛭子命(恵比寿の神)事代主命(福徳の神) 神徳 古くより高森十六所大明神と尊称し「命の神」「福の神」と仰ぎ、交通、治療、招福、厄除、安産、幼児の守護神 由緒 往昔第一代神武天皇の功臣天香山命を先人達が開拓の祖神と崇め祭祀せしか。又上古天香山命の後裔若狭犬飼宿禰の氏人の若狭(当地方)に在りて祖神を氏神として如来山(香具山)に創祀したものと推考される。御鎮座は奈良朝の大宝2年(702)の頃か、少なくとも天平13年(741)より延暦12年(793)の間の年代と推定され、今より1250年余前の創建ならん。降って平安朝の延長5年(927)の延喜式神名帳に撰上ありしより、正に1050年の古社なり。中古暦応元年(1338)丹州、丹後の大川十六所明神が当地に飛遷(合祀)すると伝う。鎌倉、室町時代は社領も百五十石あり。社運隆昌なりしと云う。以降幾度かの造営修補も経て、現在の社殿は江戸時代文化10年(1813)の造営なり。 昭和52年1月吉日 記 伴信友の詠歌『こもまくら高倉山の高々にあふぎて祝ふ神祭ありかも』 文化元年(1803)の春祭りに参拝の折詠める。 摂社 牛尾神社(別称 八王子乃宮) 御輿神社(末社)は両神社祭神の荒み魂を祀る(輿車の神)として崇拝す 古儀祭 春季3月13日 秋季10月8日。 例大祭 春季4月23日 秋季10月28日。 祭 神 天照皇大神の八王子乃命 五男の命は天孫降臨の折り力を助け給う神、三女の命は世に云う海上全般の守護神 天日槍命を主神と仰ぎ奉る 由 緒 上古第11代垂仁天皇の御宇に来朝帰化せる新羅国の皇子天日槍命の族及びその末葉達が当地に在りて祖神を祭祀せるものならんとも推考され奈良朝の延暦10年(791)より以前の御鎮座と伝えられ 今より約1200余年前と推定される。其の後太政官符に依り、牛を殺して漢神を祭るを禁止せられしより衰微せしが、中世平安朝の暦応元年(1338)丹州丹後大川天日八王子御前当地に飛遷す依って社殿造営の上遷宮(配祀)すと伝う。 又後世(戦国時代か)対岸の犬見の氏神を移座、即ち当社に合祀せりと伝う。区内の社壇零落し神格失脚の故ならんか、今も尚犬見の白石に高森屋敷(小丘)有り。 鎌倉室町時代は本社と共に社領も有り隆昌なりしと伝う。 現社殿は本社を同期の江戸時代文化10年(1813)の造営なり。 社頭掲示板 |
香山神社 神社明細帳』に「延書式神名帳に大飯郡香山神社」と記載。社伝に「香山神社(下杜)は、神武天皇の功臣天香山命を当地方の国土開発の祖神と仰ぎ、古来か ら香具(加来)山のという。天香山命の後裔の氏人が、養老年間(717〜23)にこの地に氏神として奉祀したと推定される、。『延喜式神名帳』 に「香山神社 小一座」と撰上され、『若狭国神名帳』に「正五位香子山明神」と記載されている古社である。摂社の牛尾神社(上社)は、第11代垂仁天皇 の御代に渡来帰化した新羅国王子の天日槍命の末裔が、始祖を「氏の神」として、延暦10年(791)頃に当地に創祀したという。『若狭国神名帳』に「正五位 杜本明神」とあるのが、当社と推考される古社である。暦応元年(1338)に神意があって丹後国大川十六所大明神・天日八王子御前・大和国吉野蔵王権現が 高森に飛遷し給うたので、翌2年、右衛門中尉助教が社殿を改築し遷座したと棟札に記してある。以後、香山神社を下社高森十六所明神社。牛尾神社を上社高森 天日八王子社と尊称した。永享5年(1433)から三年がかりで河上肥前守沙弥道應公が社殿と小宮を造替えたと棟札に記してあり、亦、荒木家文書に「若狭 国守護職因幡守安部泰俊が鰐口を奉納」と記載してあるが、行方不明である。鎌倉室町時代には上下社合せて十五○石を賜り社運隆昌を極めたが、太閤検地の時 に社領は没収されて山林を残すのみとなった。正保2年(1645)から3年にかけて藩主酒井讃岐守忠勝公が社殿の造営補修等の料を寄進された。文化10年 (1813)に氏子の奉賛により上下社の社殿を改築したのが現社殿である。 明治5年に下社高森十六所明神社を香山神社に改め、上社高森天日八王子社を牛尾神社に改められた。大正15年に延喜式内社撰上一千年祭を執行。昭和52年に御鎮座1150年と式内山社撰上1050年の式年大祭を斎行し、五年計 画の記念事業を完成した。同60年に天皇陛下在位六十年記念に社前の玉垣を改築した。平成2年に今上陛下御大礼記念に第一鳥居を大鳥居(石材)に改築し、 第一社号標(石材)を新設した。東参道駐車整備と各参道に七基の照明燈を新設した。かくて、鎮守の杜の樹々は亭々と聳え、緑いや増す中に氏子の赤誠は、次 々と具現され神威赫赫と輝き、崇敬の念いよいよ深い。 下境内の西側の桧林の中に在る「鶏塚」は、御祭神事代主命が「鶏の声の聞ゆる里は、わが有縁の地な り」祖代々、下車持の人々は鶏を神使とLて大切にして来た。早朝に参詣Lて神鶏の鳴く声を聞くと「福が授かる」と喜び、殊に、正月元旦に、神鶏の声を聞こ うと早朝に参詣する習慣がある。約五百年以前に農夫が参詣中に神鶏の声を聞き、神の御声を聞き、御姿を拝して賢き霊威を受けて誠に有難く感謝報恩の念から 境内の森に「金鶏」を埋納して「鶏塚」を創し祀ったと伝えられている。 境外社笠掛神社は本社西方一キロの笠掛谷に鎮座し、木匠と山野の神々を祀り、尊崇 奉斎している。(旧社格無格社) 福井県神社庁 |