渡海族の祖神「綿津海三柱命」を祭祀したのを始めとし、上古、霊峰青葉山を領(うしは)き坐す伊弉諾、伊弉冉二柱を国家鎮護の霊神と仰ぎ、山麓に社殿を築いて創祀。 |
伊弉諾神社 往昔、当地方に居住の先人が渡海族の祖神「綿津海三柱命」を祭祀したのを始めとし、上古、霊峰青葉山を領(うしは)き坐す伊弉諾、伊弉冉二柱を国家鎮護の霊神と仰ぎ、山麓に社殿を築いて創祀すると共に、有縁(ゆかり)の神々一三柱を勧請して相殿に奉祀した。 『延喜式神名帳』に記載の「伊射奈伎神社」の論社とも言われ、『若狭国神名帳』に所載の古社である。文永2年(1165)の「大田文」に社領神田二反とあり、又、松尾寺の参道にもあたり、多くの参詣者がある。平安時代に花山院が聖駕を駐められ、社前に欅を御手植されたと伝えられる当地随一の霊社である。 金剱山鎮座の金剱明神は、養老3年(719)に泰澄大師の創立という。建久年間(190〜99)に故あって金剱明神を伊弉諾神社に合祀して、「金剱宮」とのみ尊称した。然し、明治11年に社号を伊弉諾神社に復し、金剱神社は、境内社として祭祀した。かくて、創祀の真姿に復帰して神威全きを得た。 明治44年に氏子区内の四社を合祀した。大正元年8月26日に神饌幣帛料供進の神社に指定された。 大正4年に本殿を修復、拝殿を新築。昭和3年に大大典記念事業に玉垣を建立。神楽殿、参集所、宮守舎等を整え、同63年に昭和天皇御在位六十年を記念して、神饌所兼直会所を改築し社頭一新。崇敬の念いよいよ篤い。 中古地神社(当社の元境外社)が、以前に鎮座された中古山麓で、昭和46年3月に赤土を採取していた処、弥生後期の石剣と石矛が、ほぼ完全な形で、且つ、両者一組で出土した。これは、当地方の古代史に大きな意味と価値をもつものである。昭和51年4月に国の文化財に指定された。 福井県神社庁 |