往古「福祥山隆興寺天満天神」と称して佐分郷十七カ村の大社であった。 集落の中の山裾に鎮座している。高速道路に近く。境内に巨樹が多い。 |
伊射奈伎神社 天章周文ゆかりの寺跡 この伊射奈伎神社は、昔「福祥山隆興寺天満天神」と称して佐分郷十七カ村の大社であった。 この社前に「善楽寺」という真言宗の別当寺があって、ここに周文が三年ほど身を寄せていたと伝えられている。この善楽寺において大願を抱いて五部大乗経二〇〇巻を写経し、天満天神に奉納した。 その写経の末葉には、「時に応永13年丙戌5月22日若州大飯郡佐分郷善楽寺に於いて大願主周文謹んでこれを書す」と、奥付してある。 周文は、室町時代の十五世紀前半に活躍した画僧で、字は天章、号は越渓。彼独特の和風的な水墨画を大成して、後には足利幕府の御用絵師どなった名匠で、こうした画風を雪舟・宗湛・元信等多くの作家が継承した。 大飯町教育委員会 社頭掲示板 |
伊射奈伎神社のウラジロガシ ●伊射奈伎(イザナギ)神社のウラジロガシ ・県指定天然記念物 樹 種 ウラジロガシ(ブナ科) 幹回り 4.83 m 樹 高 約18 m 樹 齢 約600年 所在地 大飯郡大飯町福谷 所有者 伊射奈伎神社 佐分利(サブリ)川上流近くの福谷区に伊射奈伎神社がある。鳥居をすぎるとすぐに石段があり、その左側にウラジロガシがある。よく繁った枝が、2本の柱によって支えられているのがまず目に入る。 幹は空洞で樹皮に蘚苔(センタイ)類(コケ類)が着生し、 ノキシノブが点在する様は、老樹・古木の名と共に時代を経てきた風格さえ感じさせる。残念な事には、つい先頃の(平成2年)台風で、幹の部分が3分の1ほど裂け本体より分離してしまった。樹勢の衰えが目立つとはいえ、柱で支えられた枝には葉が繁っているので、今後とも保護管理が重要な課題となろう。 この神社の境内にはツガ、ウラジロガシ、ツバキ、タブノキ、シイ、スギ、サカキ等の巨木がある。 ウラジロガシは庭園樹として利用される他、小枝や葉を細かく刻んで日干しにしたものは胆石症、腎結石症に効果があるので、民間薬として利用される。 なお、この神社は式内社で若狭国神名帳にも記載されていて、正保2年(16 45)に小浜藩主酒井忠勝公により神殿が補修された。 http://www.erc.pref.fukui.jp/sogo/d028/k48.htm |
伊射奈伎神社 創立年代不詳。元亀年間(1570〜73)の兵戈に依り消失の難を受け由来不詳となった。社伝に「延喜式神名帳記載の伊射奈伎神社は当社なり」という。延宝3年(1675)の『由緒書上扣』に「福祥山隆興寺天満天神、時代由緒不レ知、山林竹木祝屋敷御赦免、一七ケ村の大社にて御座候 祝」と、亦、文永2年(1265)の『惣田数帳』に「福谷宮七反 佐分郷」とあり、神田七反歩を保有していた。当時三基の大鳥居があった。即ち、一の鳥居は、本郷の野尻に(現在は、田の中に埋没している。本社から東へ約9Km)二の鳥居は、佐分利の石山に(現在 直径 約2mの大磯石六個が、本社から南東へ約2180mの所にある。)三の鳥居は、社前にあって、境内には、本殿、拝殿、神庫、社務所、手水舎等々整い、偉観を呈していたという。 正保2年(1645)に小浜藩主酒井忠勝公が祈願の事があって社殿を補修し、寛政11年(1799)に酒井忠貫公(小浜藩主九代)が、社殿を改修したと棟札に記している。元文2年(1737)に小浜の谷唯圭らによって始められた若狭三郡の天満宮二十五社参りの一社で、学問芸術の神として尊崇されていた。 大正15年2月12日郷社に列格、3月に神饌幣帛供進の神社に指定された。 なお、明治16年3月22日に「天神社」を「伊射奈伎神社」と改称した。 秋の臨時大祭に「豊年祭」がある。これは豊年に限って、福谷区の氏子が「神代舞」を石山区が「獅子舞」を奉納、久保、安川、小車田、佐畑の各区の順に「神楽、獅子舞」が奉納される。 福井県神社庁 |