明治44年3月に合祀された川上字山神の無格社山神神社(祭神大山紙尊)を、式内社許波伎神社に比定する有力な説もある。 往古、人身を御供する社であったが、いつの頃か、陰暦正月13日夜半、人皆寝静まった時刻に酒を献じて祈願するように変化したという。 |
新鞍神社 指定村社新鞍神社は、「若狭國神階記」に式外正五位賊椋(トクラ)明神と見える御社であり、大飯郡内二十ヶ社中の一社である。社記によれば往古には人身御供の習わしがあり、後にいたり陰暦正月13日の夜半、人の寝静まる丑満時に神酒を献する習わしに代わっており、深更神酒奉献の神事はいまに続けられている。境内402坪、氏子は108件、例祭は9月10日である。 案ずるに敦賀郡東浦村阿曽の式台社阿蘇村利椋神社(トクラノカミヤシロ)との、つながりをもつものではなかろうか。内外海村犬熊の指定村社得良(トクラ)神社も同訓であり、越前の東浦人らが渡海して若狭へ定住した集落なのであろう。得良神社に関しては社記に宝治元年丁未(1247)5月利椋明神を勧請した由が記されているから川上賊椋神社と同ケースと考えられる。 新鞍神社は新利椋神社とも解せられるものがあり境内社としては次の御社がある。 (1)祭神 火之夜芸速男神 愛宕神社 (2)祭神 豊受姫命 稲荷神社 (3)祭神 大山祗尊 山神神社 (4)祭神 誉田別尊 八幡神社(字三森鎮座) 若越郷土研究 杉本壽 |