標高871mの頭巾山(近時まで女人禁制の霊峯)の狭い山頂、国土地理院の「二等三角点」の木標を背に鎭座する。 古和木大権現と称している。 古記録古文書に所見なく、創祀年代・鎭座次第・祭神事蹟等不明である。鎌倉初期すでに衰微廃頽したか、あるいは他社に合祀されたものであろうか。 |
青葉権現 奥上林村故屋岡古和木区と、北桑田郡山森との堺なる頭巾(ヅキン)山の頂上に一小祠ありて雨の神なる青葉権現をまつる。無格社なり。これ延喜式許波伎神社なるべし。 伝へいふ。淳和天皇の天長元年天下大いに旱し、民大に困みし時守敏僧都奏して、雨を祈らんことを請ふ。朝廷之を許して雨を祈らしめ給ふに七日に至らずして降雨あり。されど京都を潤したるのみにて洛外に及ばず。朝廷よって、命を弘法大師に下し、神泉苑に於て祈誓せしめ給ひしに、其の効更に現れず。大師惟へらく、これ守敏僧都の呪力を以て、諸龍を瓶中に封ぜしによるなるべしと。仍て法を変じて、再び祈りしに大雨沛然として佳雨あるに至れり。此の時其の一龍は来りて此の頭巾山に入りしといふ。 又一説には或る僧、この山麓なる北桑田郡鶴岡村字山森に来りて頭巾山に登らんとするに、其の白衣の汚染せるを見て山森の土民某の女之を渓川に洗ひて進めけり。僧大に喜びて山に登りしが終に下山せず。時人之を祀れり、即ち青葉権現なりと。是れより山森川以外に住する女は、登山すれば祟をうくとて敢て之を犯さず。若し祈雨の為に登山せんとする女子は、先ず山森村に一宿して一旦土民の如くなり、然る後登山すれば後難なしといふ。 又参詣者は麓の小石を拾ひて山上に運び、祠辺に積むの習あり。若し山上の石塊を一箇たりとも他に持ち去らんか、必ず神罰を蒙りて地方洪水の厄に遇ふべしと伝へたり。 現今、若狭遠敷郡、桑田郡、本郡より参拝する者多く、船井郡は勿論遠く播州方面よりも参拝祈祷す。当社の例祭は山麓の地方民によりて行はる。其の賽物特異なり。 何鹿郡誌 |