内外海半島の主峯久須夜ヶ岳(標高619m)の南麓、小濱溝に臨む堅海集落の東方に鎮座。 村誌『内外海誌』には、「山中に岩があり大神岩といひ、往古、大神がこの岩上に鎭座された。また大神の憩はれた御腰掛岩、このあたり一帯を鳥帽子の森と称し奥深い社叢をなしてをり、今も尚、堅く不浄を禁じてゐる。」とあるが、山岳そのものを神と崇めた古代信仰の姿をうかがうことができる。 |
久須夜神社 久須夜神社 祭神 大己貴命(亦の名を大国主命) 例祭 6月11日 由緒 創祀勧請は詳ならず。社殿の創建は大化2年乙巳年と伝えている。 延喜式内社である。 境内山中に岩があり大神岩という。往古大神がこの岩上に鎮座されたという。 里人は狼岩といって畏怖している。 又常に御憩いたされた御腰掛岩があり一帯を烏帽子の森称し現境内がその一部を占めて居る。今も尚堅く不浄を禁じている。 斉衡年間(西暦854年)現在地に社殿を建て鎮座される。若狭国の名山久須夜岳は久須夜神社の名に依って生まれ、久須の夜雨は若狭八景に数えられている。 社頭石碑 |
久須夜神社の照葉樹林 名称 久須夜神社の照葉樹林 学名 − 分類1 植生 分類2 常緑広葉高木林 位置 (2kmメッシュ番号) 小浜市:堅海 久須夜神社(1057) 選定理由 自然植生もしくはそれに近い植生 区分 B(県レベルで重要なもの) 解説 久須夜神社のある堅海集落は,内外海半島の西岸に位置している.神社は集落の東側にあり,その後背斜面に照葉樹の林が残っている.この社叢林は「烏帽子の森」と呼ばれ,昭和63 年には小浜市の天然記念物に指定されている.神社裏手の平坦で土壌が発達したところには,タブノキがよく生育している.隣接した場所にスギやヒノキの植林が見られるが,ここも以前はタブノキの林であったと思われる.ここから斜面を少し登ると,傾斜が急になり,タブノキからスダジイに林冠優占種が変化している.この林の高木層を構成するスダジイは大木が揃っていて,7 本の胸高直径を測定したところ,平均が70 pを越えていた.そのうち最大のものは胸高直径160cm もあるが,幹の下部に空洞が見られることから,樹勢は衰えているものと思われる.林冠には,この他にウラジロガシやケヤキの大木が見られ,林間にはヤブツバキ,ヒサカキ,モチノキ,スダジイ,シロダモ,イヌマキ,ヤブニッケイなどが見られる.林床は腐植層が少ない上,植被率も約20 %と低く,ベニシダ,ホソバカナワラビ等が散見される程度である.下方の林縁部には,傾斜のゆるいところにホソバカナワラビの群生が見られる.本種は関東地方以西に分布する暖地性のシダ植物で,若狭地方は日本海側での北限域に近く,分布上貴重な植物である. 保護の現状 と留意点 社叢林全体が小浜市の天然記念物に指定されているため,今後も保護されていくものと考えられる.今後,更に周辺環境の保全にも留意する必要があろう. http://www.erc.pref.fukui.jp/gbank/tokusei/d0005f.html |
小浜市堅海 内外海半島にそびえる久須夜ヶ岳(くすやがたけ)の西麓に位置し、小浜湾に面する堅海は、「勝海」「勝見」とも書き、中世には、島山(大島)、泊、堅海は、「志万郷」に属していたようであった。 内外海半島諸村の中でも最も耕地面積が広く、海に面していながら、農村的要素が強く、漁業権を殆ど持っていない。 集落の北東の山裾に鎮座する久須夜神社は、延喜式神名帳所載の古社であり、若狭国鎮守大明神十社の一つとして崇敬されてきた。久須夜ヶ岳の山腹エンゼルラインに沿って、そびえ立つ巨岩、狼岩(おおかみいわ)は、祭神大己貴命(おおなむちのみこと)が天下った岩と伝えられている。この辺りから山麓の神社あたりまでの一帯を烏帽子の森(えぼしのもり)と称し、古くから堅く不浄を禁じているが、荘厳な神域を形成する見事な社叢の存在もこうした厳しい禁忌と篤い信仰の所産である。このことが、地名の由来に関係があるかもしれない。 また、昔この地は勝見草(ヒエの一種。食料にした。)の自生する楽園であり、そのため陸の孤島であった「かつみ」の人々は侵入者を恐れ、近寄り難い海「堅海」と字を変えて楽園を守った、との説もある。 応安2年(1369年)創建と伝えられる臨済宗長慶院の木造観音菩薩坐像は、重要文化財である。太造りで堂々とした体躯であるが、穏やかな顔が印象的だ。 堅海集落 ◆ ひとくちメモ 内外海半島西側に位置する堅海の「長慶院(ちょうけいいん)」は、臨済宗南禅寺派の寺。開祖、開基など詳しいことは不明だが、寺に伝わる木造観音菩薩坐像は平安時代の作といわれ、国指定の重文になっている。 http://www.wakasaji.org/chimei/03_katsumi.html |