若狭の集落は現在東浦にあるが、およそ千年前に移り住んだもので、小山一つ隔てた西之浦には、今では村の鎮守である椎村神社だけが鎮座している。 椎やタモの巨木に覆われ鎮座している。山裾の神社。集落より離れている。 |
椎村神社と王の舞 若狭の集落は現在東浦にあるが、およそ千年前に移り住んだもので、小山一つ隔てた西之浦には、今では村の鎮守である椎村神社だけが椎やタモの巨木に覆われ鎮座しています。 その椎村神社の祭礼が5月5日営まれ、獅子舞と「王の舞」が奉納され、区の繁栄と今年の豊作を祈りました。獅子退治の様子を演じる「王の舞」は飛鳥、奈良時代に中国や朝鮮から伝わり普及したと言われていますが、この若狭の「王の舞」はいかにも素朴でしみじみとした味わいがあり、市の無形民族文化財に指定されています。 西之浦の神社から東浦の村中までの1キロ余りを太鼓や神輿、稚児などが行列を成し、途中、砂を盛って清めた場所で一服をしました。「お旅所」といって神様の休憩所だそうで、今では海岸道路が出来、車が行き来しますが、昔は小山を越えなければならず、400キロ以上もある神輿を担ぐには神様どころか人間様が一服せざるを得ません。 村人たちがいまだに「忠朝さん」と親しみを込めお呼びしているのが、小浜藩主酒井忠勝の嫡男、忠朝公である。父忠勝の勘気に触れこの西之浦に蟄居され椎村神社参道の右手、谷川に沿って登った所に居住跡があります。神仏の信仰あつく、神社堂宇の再建に力を尽くされたそうで、境内の大きな石灯篭と神輿にはくっきりとご紋が刻んであり、当時を偲ぶことが出来ます。 http://www.wakasa.biz/itaya/local/index1.shtml |