浅茅湾の小島「鹿ノ島」にある。 島全体が神域で恰も海宮と呼ぶにふさわしい。この島に渡るには、加志、今里、尾崎いづれの浜からか、小船で行く以外にない。 神功皇后が三韓征伐からの凱旋の際この島で休憩している時に、磯良命(磯武良)に暇を与えた。磯武良は、海底に入った。その後、賊船が沖を通ると、磯武良が出現し、ことごとく海底へ沈めたという。 |
志賀島神社 対馬市美津島町今里の志賀神社で12日、大祭があり神職や区長、神社総代など6人が参拝し村の安穏、家内安全、大漁、豊作などを祈念した。 志賀神社は集落の沖、約1`に浮かぶ長径約40bほどの小さな島。海岸に石垣を積んで広場を確保、西向きに社殿が建てられている。 タイムカプセルの世界のようである。 ボートが接岸して神社への参道は石畳が敷いてある。この石畳は神社の屋根に葺いてあった石材です。瓦に替えた際に屋根から下ろされて参道に活用されたのだそうです。 鳥居をくぐると、近くに大きな石製の手水鉢が目に飛び込んでくる。周囲を見ると力石があった。かつては力自慢の村人が頭上に持ち上げて腕力を競ったという。拝殿の左右には阿吽の狛犬が睨みをきかせている。 かつて志賀神社の祭典は相撲の奉納もあり賑わったという。また、舟グローも開かれ住民は手拭いを振って声援を送ったそうだ。ところが、村から離れた志賀島に舟で向かう面倒さが敬遠され祭は低調になった。 志賀島には志賀神社と郷崎様、金比羅様の三社が祀られている。島内に志賀神社は厳原町久田道と小船越などにあり海の神様。志賀神社は鹿と発音は同じです。そのため神宝は鹿の角です。 福岡市の志賀島に鎮座する志賀海神社には「海」の一字が加えてあるが同じ神様です。こちらも鹿の角を神宝にしている。古代から中世にかけて対馬と志賀島は密接な関係があったようです。 万葉集にも志賀の荒雄が対馬の防人に食料を運ぶ途中で遭難したという話が残されているそうです。 対馬おもしろ紀聞のブログ |