雷神社
いかづちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】雷命神社 対馬島 下県郡鎮座

   【現社名】雷神社
   【住所】長崎県対馬市厳原町豆酘2852
       北緯34度7分29秒、東経129度10分57秒
   【祭神】雷大臣命
   【例祭】1月3日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】承和10年(843)9月従五位下
       貞観12年(870)3月正五位下
       明治7年6月村社

   【関係氏族】岩佐氏
   【鎮座地】移転の記録は無い

   【祭祀対象】本来は雷を祀る
   【祭祀】江戸時代は「嶽之大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

嶽之神と呼ばれた時代にも、天下国家の吉凶を占う大事な亀トが行はれていた。これは古いト部の伝統と思われる。
明治4年(1871)の廃藩まで公式に亀トが行われたことで知られているが、この祭礼を俗に「サンゾーロー祭」という。


雷神社

雷神社 (旧村社)
御祭神 雷大臣命
由緒 雷大臣命は神功皇后新羅を征し給ふ時、御軍に従ひ勲功あり、凱還の後、対馬県主となり豆酘に館をかまえ、韓邦の入貢を掌り祝官をして祭祀の礼を教え太古の亀卜の術を伝ふ。由りてその古跡に祠を建て亀卜の神として祭り、毎年旧正月3日に卜部氏天下国家の吉凶を卜する処の社なり。

社頭掲示板



雷神社

正月三日の神事について、概要を述べると、まつ関係者一同、上里の村役の家に集り、入沿して身体をきよめ、昼食をして雷神社に行く。供僧が一人手傳つて、岩佐氏は七十五本の矢を作る。この矢竹は保床山の女竹と決つてゐる。この間他の者達は神域を清掃して、鳥居の前で火を焚く。準備がでぎると、岩佐が神前に矢を献じ、供僧が御酒と鰤を供へて祓ひをする。
岩佐が、亀甲を火に焙つてト事を行ふ間、供僧は眞言を唱文して祈祷を続ける。他の者は奉幣者阿比留氏、観音住寺主藤氏、二位殿本石氏、三位本石沃等供僧の諸氏が、居並んで座してゐる。亀平は一人裃を着けて海邊へ行く。彼は干潮を待つてネズミ藻を採り、天神隈へ参る。
亀トの用意が整つた頃、ネズミ藻を御幣に掛けて、亀平が天神隈から降りて來て、鳥居の前で祝詞を陳べる。中世風の間答形式で、かなり長い文句であるが、この祝詞が終ると、阿比留が御幣を受け、これを神前に立てる。
祭のあと神前でノホレヒ(直會)が行はれる。御酒と鰤を下げて、會食が行はれるわけで、なほ鰤の切身を一片づつ紙に包んで持帰り、家族中に頂かせる。

式内社調査報告



雷神社で亀の甲占い

対馬市厳原町豆酘(つつ)の雷(いかづち)神社で7日、亀の甲羅に火を当て、ひび割れで1年間の吉凶を占う「亀卜(きぼく)神事」(国選択無形民俗文化財)があった。
古代中国から約1500年前に伝わり、対馬では藩政時代に農作物の作柄などを占って藩主に報告。藩を治める上で重要な役割を果たしていた。文化庁によると、皇室を除くと、全国で対馬だけに残るという。
今年も占いは土脇隆博さん(38)が務めた。火鉢の炭火であぶった桜の木をウミガメの甲羅片に当て、ひらめいたことを墨書した。地区の1年は「吉」。島の農業は「平年作」、水産業は「良」、経済は「上々」、天候は「並」と出た。

2019/02/08付 西日本新聞朝刊



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